ノンフィクションライター。サンケイスポーツでサッカー、オリンピックを中心に取材、執筆。米国駐在時はMLBまで網羅するなど、スポーツ分野の守備範囲は幅広い。第一線で取材、執筆を続けるため独立。近年はスポーツのみならず社会問題にまで取材範囲を拡げる。
7シーズンで8人目。アマチュアだった日本リーグの名門として君臨した前身の古河電工時代を含めて、初めて2部リーグに降格した2010シーズン以降でジェフユナイテッド千葉を率いた監督の数だ。
ゴールにかける想いをストライカーに聞くと、ほとんどの場合で「貪欲に」という言葉が返ってくる。鹿島アントラーズの土居聖真(しょうま)も然り。もっとも、ゴールへの飢餓感よりもこの言葉を先立たせる点で、稀有なタイプといっていいかもしれない。
サッカー人生を賭けた決断が吉と出た。リオデジャネイロ五輪に臨む日本代表にJ2クラブからただひとり、選出されたファジアーノ岡山のMF矢島慎也の日常には、追い求めてきたサイクルが力強く脈打っている。
トラップに“意思”が込められていた。ホームの等々力陸上競技場にアルビレックス新潟を迎えた、13日のセカンドステージ第3節。川崎フロンターレのMF大島僚太がひときわ大きな輝きを放ったのは、1点をリードされた前半38分だった。
時間にして約7秒。その間にボールに触ったのは3回。味方のゴールをアシストするまでの流れるようなプレーに、浦和レッズのFW興梠慎三がリオデジャネイロ五輪に臨むU-23日本代表に、オーバーエイジとして招集された理由が凝縮されていた。
偽らざる思いが脳裏を駆け巡った。ガンバ大阪の強化部を介して、リオデジャネイロ五輪へ臨む日本代表のオーバーエイジ候補に入ったことを日本サッカー協会から告げられたとき、藤春廣輝の心に浮かんだ二文字は「喜び」ではなく「不安」だった。
あらためて振り返ってみると、それはU-23日本代表を率いる手倉森誠監督から課された「追試」だったのかもしれない。
記録だけでなく、記憶にも残る夜となった。聖地カシマサッカースタジアムに、21歳にして威風堂々としたオーラを放つ鹿島アントラーズの植田直通の雄叫びがとどろく。
目の前にこぼれてきたボールに、誰よりも早く反応した。研ぎ澄まされた集中力。一瞬にしてボールを支配下におさめたダッシュ力。そして、日本代表GK西川周作の牙城を破る決定力。FC東京の成長株、22歳の橋本拳人がまばゆい輝きを放った。
敵地・福岡に大挙して駆けつけた川崎フロンターレのサポーターが、そして生中継されたNHKのBS1で戦況を見つめていた全国のサッカーファンが驚いたはずだ。
8月5日の開幕まで残り2カ月を切ったリオデジャネイロ五輪に臨む、サッカーのU-23日本代表のメンバー選考が大詰めを迎えている。
思いもしない理由で、質疑応答が一時中断となった。試合後の取材エリア。最後に姿を現したロアッソ熊本のFW巻誠一郎の鼻から、血が滴り落ちたためだった。
ここまでのサッカー人生をふと振り返ってみる。例えば去年の初夏。関東学院大学の人間環境学部4年生だったFW富樫敬真(とがし けいまん)は、就職活動の真っただなかにいた。
海を越えたサクセスストーリーの、最初のクライマックスが訪れようとしている。
心の奥の、さらに奥まで見透かされている。湘南ベルマーレのボランチ、石川俊輝は驚きにも近い思いを抱きながら、気がついたときには胸中に溜め続けてきた苦悩をすべて打ち明けていた。
危ないと思ったときには、必ずといっていいほど赤いユニフォームの背番号「6」が防波堤となった。相手のパスをインターセプトしたときも、正確無比なロングパスを逆算したときの起点でも、ピッチには常に遠藤航が君臨していた。
痛みが残る右足を必死に伸ばした。時計の針はすでに、3分間が示された後半のアディショナルタイムを回っていた。これが最後のプレーになる。危機感と執念が、FW小林悠(川崎フロンターレ)の体を突き動かす。
背番号「10」を託されて6年目になる日本代表で、そして通算4シーズン目を迎えたボルシア・ドルトムントで。わずか5日の間に、MF香川真司はふたつのチームでそれぞれ節目を経験した。
日本代表のMF本田圭佑(ACミラン)によれば、バヒド・ハリルホジッチ監督はFW岡崎慎司(レスター・シティー)に心の底から惚れ込んでいるという。
発足して3シーズン目を迎えたJ3に、FC東京はU‐23チームを参戦させている。23歳以下の若手選手に公式戦の舞台で真剣勝負を積ませて、成長を促すことが目的だ。
いま思えば、なでしこジャパンが窮地に陥る姿を予感していたのかもしれない。それだけ、昨年末に電撃引退したレジェンド、澤穂希さんの言葉で引っかかるものがあった。
ひとつの時代が終焉を告げた。大阪で開催されていた、リオデジャネイロ五輪出場をかけた女子サッカーのアジア最終予選。なでしこジャパンは3位に終わり、上位2カ国に与えられる出場権を逃した。
敵地のゴール裏をオレンジ色に染めたサポーターが、自分だけを見つめている。勝利を報告すると、おもむろに拡声器を手渡された。熱い視線と降り注いでくる声援が、何かしゃべれと要求している。
緊張と興奮が交錯する新天地でのデビュー戦。ぎこちなさが先だっても決して不思議ではない状況で、23歳になったばかりの若武者はたくましいばかりの存在感をピッチに刻んだ。
ひとつの哲学を胸中に抱きながら、33歳の今野泰幸は16年目のプロ人生に臨んでいる。
意思あるところに道あり――。日本代表の不動の左サイドバックとして86ものキャップを獲得し、南アフリカ、ブラジルで開催された両ワールドカップにも出場した長友佑都が好んで使ってきた言葉だ。
文化も習慣も気候も異なるカタールへ飛び立ったのが1月2日の深夜。魂を削られるようなプレッシャーとも戦いながら、18日間で延長戦を含めて5試合、計480分間にわたってU‐23日本代表の最終ラインを死守し続けた。
不惑を越えた大ベテランでも、この瞬間だけは常に緊張してしまう。新天地へ合流し、これから苦楽をともにしていく仲間たちとの初対面。2016年1月21日。SC相模原の一員となったGK川口能活は、自らを鼓舞するように大声で挨拶した。
復活という言葉には、どこか違和感を覚える。いまも保持する数々のJリーグ最年少記録とその後の軌跡を比較すれば、FW森本貴幸に期待されるのは復活ではなく、新天地における「覚醒」となるからだ。
夢のなかで常に思い描いてきた瞬間。教え子たちの手で宙を舞いながら、福岡県代表の東福岡を率いる森重潤也監督は至福の喜びに浸っていた。
夢と希望を胸に抱いていた15歳の少年にとっては、残酷に響いた言葉だったはずだ。
Jリーグが今シーズンから導入した、トラッキングデータの集計が発表されている。ミサイル追尾システムを応用した最新テクノロジーを駆使し、試合中の全選手の「走行距離」や「スプリント回数」を解析・数値化したものだ。
人生の半分以上においてなでしこジャパンの屋台骨を背負ってきたレジェンド、MF澤穂希は試合前になると静かに「勝ち曲」に聴き入り、フィクションの世界と現実の世界をシンクロさせてきた。
機は熟した。アビスパ福岡を率いる新人監督、井原正巳が決断を下したのは、年間42試合を戦う長丁場のJ2戦線が折り返した直後だった。
2015年シーズンの始動を前にして、愛媛FCのキャプテンを務めるFW河原和寿は栃木SC時代から親交のある大和田真史さん(現東京国際大学体育会サッカー部コーチ)へ電話を入れた。
センターサークルの手前付近にポジションを取っていたガンバ大阪のキャプテン、MF遠藤保仁の脳裏にはその瞬間、「絶望」の二文字が浮かんでいた。
決して突出した記録を残しているわけではない。11年目を迎えたプロサッカー人生で、ゴールネットを揺らしたのは23回。ストライカーとしては平凡以下。厳しい言い方をすれば「物足りない」となる。
左右を綺麗に刈り取り、中央部分だけが残る髪の毛にたっぷりとジェルを塗って固める。シーズンを戦いながら仕立ててきたモヒカンを、パリッと際立たせてからキックオフの笛を待つ。
時間にしてわずか数秒。ボールにまったく関係のないエリアでの出来事だったゆえに、ややもすると見逃してしまったファンやサポーターもいたかもしれない。
勝者と敗者が交錯した埼玉スタジアムのメインスタンド。金メダルと優勝トロフィーが授与されるロイヤルボックスへ向かって、キャプテンのMF小笠原満男に率いられた鹿島アントラーズの選手たちが階段を上りはじめた直後だった。