【THE REAL】なでしこジャパンはなぜ輝きを失ったのか…マンネリ化を招いた危機感の欠如 | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【THE REAL】なでしこジャパンはなぜ輝きを失ったのか…マンネリ化を招いた危機感の欠如

オピニオン コラム
なでしこジャパン 参考画像(2016年3月2日)
  • なでしこジャパン 参考画像(2016年3月2日)
  • 佐々木則夫 参考画像(2015年3月9日)
  • なでしこジャパンがロンドン五輪で銀メダルを獲得(2012年8月9日)
  • なでしこジャパン 参考画像(2016年3月7日)
  • サポーターに深く頭をさげる宮間あや(2016年3月2日)
ひとつの時代が終焉を告げた。大阪で開催されていた、リオデジャネイロ五輪出場をかけた女子サッカーのアジア最終予選。なでしこジャパンは3位に終わり、上位2カ国に与えられる出場権を逃した。

参加6カ国が10日間で総当たりのリーグ戦に臨む、立て直しのきかない過密スケジュール。なでしこの命運は2月29日、オーストラリア女子代表との初戦で1‐3の完敗を喫した時点で、ほぼ尽きていたと言っていい。

ショックを引きずるように3月2日の韓国女子代表戦で1‐1と引き分け、4日の中国女子代表戦でも1‐2と完敗。7日のベトナム女子代表との第4戦がキックオフを迎える前に、無情にも可能性を断たれてしまった。

■なでしこジャパンの「マンネリ感」

ドイツで開催された女子ワールドカップを制し、世界中に衝撃と感動を与えたのが2011年7月。翌年のロンドン五輪、昨夏の女子ワールドカップ・カナダ大会でも銀メダルを獲得してきたなでしこが、なぜアジアの戦いすら勝ち抜けなかったのか。

さまざまな理由が複雑に絡み合うなかで、見逃せないのは「マンネリ感」となる。最終的に1位でリオデジャネイロ五輪行きを決めたオーストラリアのアレン・スタジッチ監督は、なでしこ戦後にこんな言葉を残している。

「日本のリズムを崩すことに集中した。それがうまくいった。歴史的勝利だ」

選手起用を含めたなでしこの戦い方を見極めたうえで、攻撃の起点となるMF宮間あや(岡山湯郷Belle)に標的を定める。執拗にプレッシャーをかけ続けられたなでしこの攻撃は機能不全に陥り、ロングボールではなくショートパスをつないでくる戦法の前に守備も破綻した。

今回のアジア最終予選に臨んだ選手20人のうち、実に14人を世界一メンバーが占めていた。挑まれる立場に変わってから5年。代わり映えしない顔ぶれは、必然的に戦い方や選手たちの意識において「マンネリ化」を招く。挑む側にとって、なでしこほど対策を練りやすいチームはなかったはずだ。


2008年からなでしこジャパンを指揮した佐々木則夫監督

チーム内に巣食った「マンネリ感」を一掃する方策は明白だ。新しいメンバーを加えることで新陳代謝を図り、選手間の競争意識を煽りながらチーム全体の成長を促していくしかない。

世代交代の必要性を佐々木則夫監督も理解していたし、試行錯誤も繰り返してきた。しかし、今回の予選に代表されるように、肝心な試合になると世界一メンバーの経験値を優先させてきた。

もちろん、若手を積極的に起用すれば勝てるとは限らない。しかし、同じメンバーで勝ち続けられるほど、勝負の世界は甘くない。人間である以上は年齢も重ねていく2008年の北京五輪以降から主力がほぼ固定されてきたなでしこは、残念ながらロンドン五輪の時点でピークを迎えていたと言っていい。

■男子サッカーと同じミス

男子サッカーの歴史を振り返ると、いま現在のなでしこが置かれた状況と酷似している時期がある。1968年のメキシコ五輪で銅メダルを獲得した日本は、直後から出口の見えない「冬の時代」を迎えた。

当時の日本代表は、ベスト8に進出した1964年の東京五輪を含めて、ほぼ同じメンバーを8年間にわたって集中強化。ひと握りのエリートを徹底して鍛え上げることで、レベルアップに成功した。

目と目を合わせるだけで意思の疎通が図れ、体が自然と反応するレベルにまでコンビネーションを熟成させる。一部の選手だけが身につけた強さは、当然ながらその後に大きな反動を招く。

メキシコ五輪で得点王を獲得した不世出のストライカー、釜本邦茂氏は代表チームをひとつの部屋にたとえながら当時を振り返ったことがある。

「部屋から出ていく人と部屋に入ってくる人のギャップが大きかったから、メキシコ後の日本サッカーは落ちていった。ベテランの先輩たちがいなくなったところへ新しい選手が入ってきても、考え方と鍛えられ方が違う。仕方ないかと言っているうちにどんどん、という感じでしたね」

■変わらない顔ぶれ

佐々木監督は2008年から長期政権を築いてきた。さん然と輝く功績はもちろん称えられるが、一方で特にロンドン五輪以降のチーム作りは、図らずも半世紀近く前の男子が犯したミスをたどってしまった。

なでしこの歴史を未来へ紡ぐためには、ロンドン五輪が終わった時点で指揮官の交代を含めた体制の刷新が図られるべきだった。実際、佐々木監督のもとには、現役時代にプレーした大宮アルディージャ(当時はNTT関東)からフロント入りのオファーが届いていた。


ロンドン五輪で銀メダルを獲得

しかし、同時に日本サッカー協会から打診されたなでしこの監督延長のオファーを最終的には選択した。この時点でワールドカップ・カナダ大会まで3年の時間があったが、釜本氏の言う「部屋」のなかの顔ぶれはほぼ変わらないまま、時間だけが経過していった。

カナダ大会も、実は開幕前の下馬評は芳しくなかった。しかし、アメリカ女子代表とドイツ女子代表の二強と決勝まで対戦しない組み合わせにも後押しされ、経験を生かしながら、グループリーグから接戦をしぶとく勝ち抜いていった。

迎えた決勝で、しかし、ドイツ大会の雪辱を期すアメリカに2対5の惨敗を喫してしまう。この時点で佐々木体制を変える手段もあったが、一方でリオデジャネイロ五輪出場をかけたアジア最終予選は約7カ月に迫っていた。

背負わされる十字架の重さを考えれば、たとえなでしこを率いる意欲をもつ指導者がいても、二の足を踏んでしまう。必然的に佐々木監督との契約は延長され、大阪の地で味わわされる悪夢への序章となった。

【なでしこジャパンはなぜ輝きを失ったのか 続く】
《藤江直人》

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