【THE REAL】大学生Jリーガー・室屋成の成長を加速させる4つの夢…左足骨折の悪夢を乗り越えて | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【THE REAL】大学生Jリーガー・室屋成の成長を加速させる4つの夢…左足骨折の悪夢を乗り越えて

オピニオン コラム
室屋成 参考画像(2016年1月26日)
  • 室屋成 参考画像(2016年1月26日)
  • 室屋成 参考画像(2016年1月26日)
  • 室屋成 参考画像(2014年12月14日)
  • 南野拓実(左)と室屋成(2016年1月26日)
  • 室屋成 参考画像(2015年7月13日)
  • 室屋成 参考画像(2016年1月26日)
意思あるところに道あり――。日本代表の不動の左サイドバックとして86ものキャップを獲得し、南アフリカ、ブラジルで開催された両ワールドカップにも出場した長友佑都が好んで使ってきた言葉だ。

年代別の日本代表に縁がなく、東福岡高校から明治大学へはスポーツ推薦ではなく指定校推薦で進学した。それでも、まるで呪文のように「必ずビッグになるけん」と自らに言い聞かせてきた。

女手ひとつで自身と姉、弟の3人を育ててくれた母親を、一刻も早く経済的に楽をさせたい。どうしてもビッグになりたかった長友は、サッカーで大成しなかった場合には一流企業に就職する青写真も描いていた。

果たして、明治大学でサイドバックとしての才能を開花させた長友は、4年生への進級を前に体育会サッカー部を退部。FC東京とプロ契約を結び、それからわずか3年後には活躍の舞台をセリエAへ移している。

名門インテルの一員となって実に6シーズン目。いまも初志を貫く長友の背中を追うように、無限の才能を秘めた若きサイドバックが、先輩と同じルートでプロの世界に挑もうとしている。

■大学生プロ、室屋成の誕生

リオデジャネイロ五輪出場を決めた1月のU‐23アジア選手権。唯一の大学生ながら日本の右サイドに君臨した室屋成が明治大学体育会サッカー部を退部し、政治経済学部に籍を置いたままの「大学生プロ」として、FC東京に加入することが2月5日に発表された。


室屋成

五輪切符を手土産に、深夜の羽田空港に凱旋帰国した1月31日。この時点でFC東京を含めた3つのJクラブからオファーを受けていた3年生の室屋は、揺れ動く思いを吐露している。

「長友選手は指定校推薦でしたけど、僕はスポーツ推薦なので。どんどん上でプレーしたいという気持ちはもちろんありますけど、どこでプレーするにしても自分の意識の高さ次第で必ず成長できるはずなので、そこは監督や大学側と話し合って決めたいと思っています」

青森山田高校からスポーツ推薦で入学した室屋は、原則としてサッカー部で4年間活躍することを求められる。卒業を前に退部してプロ入りするケースは、もちろん明治大学では初めてだった。

もっとも、室屋は1年生からしっかりと単位を取得してきた文武両道への真摯な姿勢と、プロの舞台でさらに飛躍する可能性、何よりも強靭な意思の源となる3つの夢を抱いていた。

中盤の攻撃的な選手だった室屋は、高校2年生でサイドバックへ転向する。類希な潜在能力はすぐに頭をもたげ、2011年にメキシコで開催されたU‐17ワールドカップでは日本のベスト8進出に貢献した。

青森山田高校の最上級生となった2012年には、清水エスパルスから獲得オファーが届く。しかし、室屋は自らの意思で断りを入れて、明治大学へ進学する道を選んだ。その理由をこう語ったことがある。

「僕は高校2年でサイドバックになったばかり。長友選手をはじめ、サイドバックの育成に定評のある明治大学で経験を積みたかった」

1番目の夢は日本を代表するサイドバックに成長すること。プロで活躍する自身の姿を思い描きながら、あえて遠回りを望んで門を叩いた明治大学での3年間。時間の経過とともに、室屋は確かなる手応えをつかんでいった。

「普段の練習から1対1のメニューがすごく多いんです。それも『絶対に止められへんやろう』と思えるほどの広いエリアで。対人の強さが明治のサイドバックにはまず求められるので、その意味では1対1の守備が明治に入ってから成長した部分だと思っています」



守備に自信が宿れば、得意としていた攻撃力の切れ味も増す。ベスト4進出をかけたU‐23イラン代表との準々決勝。両チームともに無得点で迎えた延長前半6分に、室屋が眩いばかりの輝きを放った。

右サイドを攻め上がってボールを受け、フェイントで切り返してから利き足ではない左足で鋭いクロスを放つ。FW豊川雄太(ファジアーノ岡山)のヘディング弾を導いたアシストに、日本中が狂喜乱舞した。

【大学生Jリーガー・室屋成の成長を加速させる4つの夢 続く】
《藤江直人》

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