【THE REAL】ガンバ大阪・今野泰幸が実践する哲学…センターバックに抱いたトラウマを乗り越えて | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【THE REAL】ガンバ大阪・今野泰幸が実践する哲学…センターバックに抱いたトラウマを乗り越えて

オピニオン コラム

今野泰幸 参考画像(2014年6月9日)
  • 今野泰幸 参考画像(2014年6月9日)
  • 今野泰幸 参考画像(2014年6月24日)
  • 今野泰幸 参考画像(2015年9月16日)
  • 今野泰幸 参考画像(2015年5月6日)
  • 今野泰幸 参考画像(2014年11月18日)
ひとつの哲学を胸中に抱きながら、33歳の今野泰幸は16年目のプロ人生に臨んでいる。

コンサドーレ札幌、FC東京、そして現所属のガンバ大阪で555を数える公式戦に出場。日本代表としても87キャップを獲得し、2度のワールドカップ代表に選出されてきた軌跡で、必然的に形成された「いい選手」に対する独自の定義といってもいい。

「監督から求められるプレーをできるのがいい選手だと、自分のなかではずっと思っている」

■勝利への条件を弾き出す

迎えた2月20日。サンフレッチェ広島と雨中の日産スタジアムで対峙した富士ゼロックススーパーカップは、今野の定義に照らし合わせれば「まったく満足がいかない」となる。

J1と天皇杯の覇者が激突する、シーズンの到来を告げる恒例の一戦。長谷川健太監督から求められたポジションは、主戦場としてきたボランチではなくセンターバックだった。


今野泰幸

チャンピオンシップ決勝を含めて、リーグ戦覇者サンフレッチェとは昨シーズンだけで5度も対戦。2勝1分け2敗と五分の成績を残してきた過程で、今野は勝利への条件を自分なりに弾き出していた。

「先に失点してしまうと、広島は守備を固めてくる。そこで僕らが無理をして攻めていったところでボールを奪って、僕たちの間、間を使いながら攻めてくるのが広島の戦術なので」

前半をともに無得点で折り返して迎えた後半6分。今野が描いていたシナリオが脆くも崩れる。気がついたときには、すでにネットが揺れていた。ゴールを陥れたのはサンフレッチェのエース、佐藤寿人だった。

ガンバ陣内でDF佐々木翔がこぼれ球を拾う。MF茶島雄介、キャプテンのMF青山敏弘を介して、攻め上がってきたDF塩谷司にボールがわたる直前、佐藤はオフサイドポジションにいた。

今野はこのとき、背中越しに佐藤のポジションを確認したうえで、塩谷が放り込んできたアーリークロスの軌道に神経を集中させる。しかし、オフサイドの位置で「死んだふり」をするのは佐藤が十八番とする駆け引きだ。

塩谷がクロスをあげるまさに直前にオンサイドの位置に戻り、今野の死角を突く形で素早く動き直す。ターゲットはニアサイド。走り込む佐藤に導かれるように、シュート性の高速クロスが飛んでくる。

背後に相手の気配を感じ、振り向いたときには、すでに佐藤がダイブしていた。利き足の左足を思い切り伸ばして、体を投げ打つように飛び出してきたGK東口順昭の眼前でかすかにヒットさせる。

無人のゴールに吸い込まれていくボール。佐藤との衝突を避けようとした今野はバランスを崩し、仰向けになる形でピッチに倒れ込む。降り注ぐ冷たい雨が、無念の思いを増幅させた。

「もうちょっと素早く自分がいいポジションを取れていれば、何かできたんじゃないかなと。サイド(の塩谷)へいい形でボールを振られて、相手がスピードアップしてきたところだったので。自分もポジションを取ることを考えましたけど、多少ボールウォッチャーになっていたと思う。もうちょっと中から寿人さんを見るような形で、アタックできればよかったかなと」

佐藤を背中越しではなく、目の前で見るようなポジションで対処できれば――。キックオフ直後から佐藤の動きを警戒し、もっとも守りにくいとされるニアサイドのポジション争いに神経を割いてきた。

実際、今野とセンターバックコンビを組んだ丹羽大輝は、サンフレッチェの選手がクロスの体勢に入るたびに、仲間へ向けて大声で佐藤への警戒を呼びかけ続けた。

「ニアに来るぞ、ニアに来るぞ!」

それでも最後はニアを陥れられ、ゲームの主導権までもがサンフレッチェの手中に収められた。勝利の方程式の崩壊は、要は長谷川監督から求められたタスクを完遂できなかったことを意味する。

だからこそ試合後の今野は、最終的には3ゴールを奪われての完敗に首を振った。サンフレッチェ戦に限れば、常に追い求めてきた「いい選手」になれなかったからだ。

「とにかく、今日は先に失点したことが痛かった」

4年目を迎えた長谷川体制でセンターバックを務めるのは、J2を戦った2013年シーズンで数試合プレーして以来となる。実はセンターバックでの仕事に対して、今野自身がある種のトラウマを覚えていた。



宮城・東北高校時代の今野は全国的にほぼ無名で、卒業後はJFLのソニー仙台への加入が内定していた。もっとも、本心はプロになりたかった。ある日、サッカー部の大森貞夫監督に今野は思いの丈を伝える。

「J1のチームでプレーしたいんです」

今野によれば、大森監督は「厳しくて、怖くて、とてもじゃないが口答えなどできない」という存在だった。高校3年間で最初にして最後の反抗。恩師はコンサドーレのキャンプへ参加する道筋をつけてくれた。

当時J1のコンサドーレを率いていたのは、後に日本代表で指揮官と常連選手の関係になる岡田武史監督。2泊3日の練習参加を終えた最終日に、コンサドーレの強化部からプロ契約を打診された。

自分の何が評価されたのか。ボランチという言葉すら知らなかった当時18歳の今野は、ルーキーを対象とした個人面談で岡田監督からこんな言葉を投げかけられている。

「お前は守備のアプローチのスピードと、ボールを奪う力がすごい。それらを伸ばしていけ」

いずれもボランチに求められる能力。以来、今野のなかで明確なプレースタイルが形成されていく。

「能力のない選手ほど、それを補うためにファウルを犯す。大切なのはボールをもつ相手との距離感とアプローチの勢い。スピードがあるほど相手にプレッシャーをかけられるし、懐に入ってしっかりと体をつければ、相手はボールキープに必死になって顔を上げられない」

2004年シーズンは新天地に選んだFC東京で、ボランチとしてナビスコカップ制覇に貢献。初めてA代表に招集されたジーコジャパンでも、ボランチでの起用がメインだった。

【ガンバ大阪・今野泰幸が実践する哲学 続く】
《藤江直人》

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