新城 幸也(あらしろ ゆきや、1984年9月22日 - ) 沖縄県石垣市登野城出身のサイクルロードレース選手。沖縄県立八重山高等学校卒業。 2009年7月には、別府史之とともに日本選手として13年ぶりにツール・ド・フランスに出場。日本人で初めて近代ツール・ド・フランスを完走した選手の一人。 2010年のジロ・デ・イタリアを完走し、ツール・ド・フランスとジロ・デ・イタリアの2大グランツールを初めて完走した日本人ライダー。 2012年のツール・ド・フランスに第4ステージおいて敢闘賞を獲得。日本人で初めてグランツールの表彰台に上がった。(参考:Wikipedia)
氷点下の降雪に見舞われたジロ・デ・イタリア第16ステージを、ヨーロッパカーの新城幸也は最後尾の大きな集団でゴール。タイムアウト間際だったが、最後から3番目の158位で山場を乗り切った。
ジロ・デ・イタリアで2度の落車に見舞われて満身創痍の新城幸也(ヨーロッパカー)は何度も途中棄権かという状況に立たされたが、本人の意思で大会18日目の休息日までたどり着いた。
ヨーロッパカーの新城幸也がジロ・デ・イタリア第15ステージの山岳で、エースのピエール・ローラン(フランス)を好アシストし、区間4位に送り込んだ。ケガの具合が心配された新城幸也だが、笑顔を見せながら29分遅れの139位でゴールした。
ヨーロッパカーの新城幸也がジロ・デ・イタリア第14ステージで落車した。第5ステージに続くケガを負い、痛みに耐えながらカテゴリー1級の上りに入り、20人ほどの最終集団で2つの1級山岳とその間にある2級山岳を越え、32分遅れの165位でレースを終えた。
ジロ・デ・イタリア第13ステージで新城幸也(ヨーロッパカー)が再三にわたってアタックを試みるが、その逃げは容認されなかった。新城は104位でこのステージを終えた。
ヨーロッパカーの新城幸也は、雷も発生する悪天候の中で行われたジロ・デ・イタリア第12ステージの個人タイムトライアルを慎重な走りでゴール。それでも区間63位のタイムで終えた。
ジロ・デ・イタリア第11ステージは落車が多発する荒れた展開となったが、ヨーロッパカーの新城幸也はそれに巻き込まれることなく、161位でレースを終えた。
ジロ・デ・イタリア第10ステージでヨーロッパカーの新城幸也は140位でステージを終えた。ゴール前で落車があったが、新城はゴールスプリントに絡んでいなかったので、これに巻き込まれることはなかった。
ヨーロッパカーの新城幸也が5月20日に行われたジロ・デ・イタリア第10ステージでチームメートともに表彰台に登壇した。前日に行われたステージでチームの上位3選手による所要時間の合計が最も少なかったため。
ジロ・デ・イタリアは5月19日、2回目の休養日を迎え、落車によってケガを負った新城幸也(ヨーロッパカー)もカラダのケアをするなどつかの間の休息を過ごした。
第97回ジロ・デ・イタリア14は、第9ステージまでを終え、休息日に入る。
ヨーロッパカーの新城幸也が落車による痛みを押しながらジロ・デ・イタリア第9ステージを走り、5月19日に休息日を迎える。
本格的な山岳区間に突入したジロ・デ・イタリア第8ステージで、ケガの痛みが残るために上りに不安があった新城幸也(ヨーロッパカー)だが、27分01秒遅れの112位で無事にゴールした。
落車によって負傷した新城幸也(ヨーロッパカー)がジロ・デ・イタリア第7ステージを151位で完走した。「痛い…。今は我慢して走るしかないけど、なにもできない」とゴール後は言葉も少なかった。
新城幸也(ヨーロッパカー)が前日の落車による痛みをこらえながらジロ・デ・イタリア第6ステージを完走した。この日はコースの一部が変更となり、今大会最長の257kmに。加えてカテゴリー2級の山岳にゴールするという厳しいレースだった。
新城幸也(ヨーロッパカー)がジロ・デ・イタリア第5ステージで落車して、右手薬指と小指に深い擦過傷、さらに尾てい骨を強打した。激しい痛みに耐えながら10分33秒遅れの138位でゴールした。
ガス燃料会社のアンタルガスは2014年、ツール・ド・フランスにおける敢闘賞のスポンサーに昇格した。2013年まで務めた家電のブラントに代わった。
ジロ・デ・イタリアはアイルランドからの移動日を経て、大会5日目にようやくイタリアでのレースが始まった。ヨーロッパカーの新城幸也は、コルナゴから供給されたパールピンクのスペシャルC60で出走した。
ジロ・デ・イタリアは大会4日目が移動日となり、アイルランドからイタリア南部へ。ヨーロッパカーの新城幸也に、自転車メーカーのコルナゴ本社から60周年の
英国・北アイルランド地方とアイルランドで行われたジロ・デ・イタリア最初の3日間をヨーロッパカーの新城幸也がアクシデントに巻き込まれることなく終えた。選手らは移動日となる5月12日、アドリア海に面したイタリア南部の都市バーリにチャーター機で移動する。
ジロ・デ・イタリアに参戦中の新城幸也(ヨーロッパカー)は第2ステージを体力温存の走りで、大集団の中のステージ49位でレースを終えた。
ジロ・デ・イタリア第1ステージのチームタイムトライアルで、新城幸也が所属するヨーロッパカーは運悪く終始路面がウエットなコンディションの中で走行し、トップから1分48秒遅れの21位で第1ステージを終えた。
ジロ・デ・イタリアが英国・北アイルランド地方のベルファストで開幕し、新城幸也(ヨーロッパカー)が5月8日に行われたチームプレゼンテーションに登場した。
ジロ・デ・イタリア出場22チーム・198選手リスト
ヨーロッパカーの新城幸也が5月9日に英国の北アイルランドで開幕する第97回ジロ・デ・イタリアに参戦する。
新城幸也(ヨーロッパカー)が4月27日にベルギーで開催されたリエージュ~バストーニュ~リエージュに参戦し、アシストに徹する走りを見せた。
第100回リエージュ~バストーニュ~リエージュが4月27日にベルギーで開催され、トレックファクトリーレーシングの別府史之とヨーロッパカーの新城幸也が参戦する。
新城幸也(ヨーロッパカー)が4月20日にオランダで開催されたメジャーレース、アムステルゴールドレースで10位になった。
GP・ド・ドゥナン・ポルト・デュ・エノーの速報。レースは、ドゥナンをスタート、ゴールとする198km。
フレッシュ・ブラバンソンヌが4月16日にベルギーで開催され、ヨーロッパカーの新城幸也がゴール500m手前でアタック。ロングスパートをかけたが簡単には逃がしてはもらえず、飲み込まれながらゴールスプリントになり、12位でレースを終えた。
ブエルタ・アル・パイスバスコの第3ステージが4月9日にスペイン北部のバスク地方で開催され、新城幸也(ヨーロッパカー)が区間6位でゴールした。総合成績では首位のアルベルト・コンタドール(スペイン、ティンコフ・サクソ)から56秒遅れの11位。大会は12日まで。
ブエルタ・アル・パイスバスコの第2ステージが4月8日にスペイン北部のバスク地方で開催され、新城幸也(ヨーロッパカー)が区間8位でゴールした。総合成績では首位のアルベルト・コンタドール(スペイン、ティンコフ・サクソ)から56秒遅れの11位。大会は12日まで。
ブエルタ・アル・パイスバスコが4月7日にスペイン北部のバスク地方で開幕し、新城幸也(ヨーロッパカー)が区間勝利したスペインのアルベルト・コンタドール(ティンコフ・サクソ)から56秒遅れの12位でゴールした。大会は12日まで。
フランスのブルターニュ地方でルートアデリードビトレが行われ、ヨーロッパカーの新城幸也がチームメートのブライアン・コカの優勝をアシストした。