2020年の五輪後、社会はどう変化するのか。現在日本は「オリンピック」という国家的イベントを目前にして、様々な問題を抱えながらも各業界がスパートしている最中です。
WOWOWは、IPC(国際パラリンピック委員会)と共同で立ち上げたパラリンピック・ドキュメンタリーシリーズ「WHO I AM」に冬季競技選手が登場すると発表した。
2020年に東京で五輪が開催されます。2017年現在、課題は山積していますが、1964年の経験も踏まえると、さまざまな面で良い結果をもたらすと捉えられることが多いため、メディアの各種報道も総じて前向きと捉えて良いのではないでしょうか。
取材中も笑顔を絶やさない。関係者のみならず、市民ランナー、言葉の通じない外国人、そしてメディアまでもそのフレンドリーさで巻き込んでしまう。
日本コカ・コーラは、スポーツクライミング選手の白石阿島、スケートボード選手の西村詞音と西村碧莉の3選手とパートナーシップ契約を結ぶことを発表した。
新潟県長岡市とオーストラリア水泳連盟は、東京オリンピック・パラリンピック事前キャンプに係る連携協定を締結した。
1964年10月8日の朝日新聞には、第62回国際オリンピック委員会(IOC)総会においてサッカーと自転車競技についてオリンピック種目から排除しようという意見が出たことが報じられている。
1964年5月に旺文社より発行された「高二時代」という雑誌には、「お嫁さんをもらうならこんな職業の人を」という読者アンケートの結果が掲載されている。
1964年、オリンピック見物を兼ね、日本の風物を楽しもうと来日した外国人観光客は5万人近くにものぼった。「親切で礼儀正しい国民」「素晴らしかったオリンピック開会式」などの評判もあったが、問題として挙げられたのは「言葉が満足に通じない」といった点だった。
1963年3月10日の読売新聞朝刊には、オリンピック入場料の原案が掲載されている。開会式は500円~8000円、競技の最低料金は300円と設定されていたようだ。当時の金額だと肌感として掴めないので、この時代の大卒初任給を見てみよう。
早稲田大学戸山キャンパスにある「早稲田大学記念会堂」。1957年に早稲田大学の創立75周年を記念して建設された体育館だ。ここが1964年の東京オリンピックのフェンシングが開催された場所でもあるということは、案外知られていない。
2016年8月19日。リオデジャネイロ五輪陸上男子4×100mリレー決勝の大舞台で、日本代表のアンカーとしてバトンを受け取ったケンブリッジ飛鳥選手。3人の仲間とともに日本陸上界の歴史に残る銀メダルを手に入れた彼は、2017年からプロ選手としての道を歩みだした。
2016年8月19日。リオデジャネイロ五輪陸上男子4×100mリレー決勝の大舞台で、日本代表のアンカーとしてバトンを受け取ったケンブリッジ飛鳥選手。3人の仲間とともに日本陸上界の歴史に残る銀メダルを手に入れた彼は、2017年からプロ選手としての道を歩みだした。
卓球の“みうみま”ペアとして親しまれてきた平野美宇選手と伊藤美誠選手。
タレントの中川翔子さんらが1月27日、東京都内で『2020に向けたクールジャパンの可能性』と題したトークセッションで未来への想いを熱く語った。
東京五輪2020で、東京ビッグサイトがメディアセンターになる予定。
東京五輪2020年のメディアセンター問題について会見が行われた。
2020年の東京五輪を前に、幾つかの課題が明るみになっているなかで、1月26日、新たにとある課題について問題提起がなされた。
陸上トラックと義足開発施設が併設された画期的なランニング施設『新豊洲Brilliaランニングスタジアム』が12月10日にオープンした。リオデジャネイロパラリンピック陸上男子400mリレーで銅メダルを獲得した佐藤圭太選手にとって、新しい活動拠点のひとつになる。
体操の内村航平選手がアシックスジャパンとアドバイザリースタッフ契約を結び、日本体操界初のプロ選手となった。今後は競技活動の他に、体操の普及にも力を注ぐ。
「楽しみです、ほんとに。今までこういったところはなかったです」と競技用義足エンジニアの遠藤謙さんは頬をゆるめる。12月10日、東京・豊洲に画期的なランニング施設『新豊洲Brilliaランニングスタジアム』がオープンした。
元プロ陸上選手の為末大さんが、東京・豊洲にオープンした『新豊洲Brilliaランニングスタジアム』の館長に就任した。
リオデジャネイロ五輪を終え、「何か見えてくるかなと期待したけど、終わってみて何も変わっていない」と淡々と大迫傑は語った。
元フィギュアスケート選手の安藤美姫さんが11月13日、東京オリンピック・パラリンピックのフラッグツアーセレモニーに参加したことをインスタグラムで報告した。
リオデジャネイロ五輪を半年後に控えた2月以来、8カ月振りで今井月(るな)選手に会った。高校生になった彼女は五輪を経験し、16歳の誕生日も迎え、これからの日本競泳界を引っ張るひとりとして成長した姿を見せてくれた。
リオ五輪が終了し、2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて、いよいよ本格的に開催までのカウントダウンが始まった。
リオデジャネイロ五輪柔道男子90kg級金メダリストのベイカー茉秋選手は11月5日、東京・丸の内で国産食材や酪農作業を体感できる「ジャパンハーヴェスト2016」に登壇。「野菜をしっかり食べてモチベーションを保ち、東京で五輪連覇を狙いたい」と語った。
凸版印刷は、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会と「東京2020オフィシャルパートナー(印刷サービス)」契約を締結した。契約期間は10月31日~2020年12月31日。
リオデジャネイロ五輪男子競泳400m個人メドレー金メダルの萩野公介選手と、陸上男子4×100mリレー銀メダルの桐生祥秀選手が10月28日、在籍する東洋大学で行われた「東洋大学キックオフイベント」に登壇した。
立命館大学スポーツ健康科学研究科と国立スポーツ科学センター(JISS)は10月24日、「教育研究協力に関する協定」の締結を発表。同大大学スポーツ健康科学研究科の伊坂忠夫科長、JISSの川原貴センター長らが登壇し、東京五輪に向けたビジョンなどを伝えた。
東京・青山の青山商店会連合会が地域企業連携A-CROSSの協力のもと、青山ワールドスポーツパレードを10月29日に開催する。
国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長は東京都内で10月20日、スポーツ・文化・ワールド・フォーラムの基調講演に登壇。2020年に控えた東京五輪などについて語り、被災地でのイベント開催計画も言及した。
アシックスジャパンは10月10日、都内で「リオオリンピック・パラリンピック日本代表選手団プレミアムイベント」を開催。イベントに登壇したパラリンピック柔道男子100kg超級銅メダリストの正木建人選手が、アシックスにお願いをする場面があった。
アシックスジャパンは10月10日、都内で「リオオリンピック・パラリンピック日本代表選手団プレミアムイベント」を開催した。日本代表に選出された選手たちが、招待された一般参加者からの質問に答えるトークショーが行われた。
日本中に感動を与えてくれたリオデジャネイロ五輪と同パラリンピックでメダルを獲得した日本代表選手たちが秋晴れの10月7日、東京・銀座で合同で凱旋パレードを行いました。
東洋大学「リオ五輪報告会」(10月3日)に登壇した同大学陸上競技部の桐生祥秀選手。次の世界陸上、2020東京五輪へ向けて再び走り始めた銀メダリストは、「やっぱ速くなること以外ないですね」と彼だけが持つ独特の言葉で抱負を語った。
東洋大学「リオ五輪報告会」(10月3日)で、同大学陸上競技部のウォルシュジュリアン選手は、「400メートルがあまり盛り上がってないんで、来シーズンは、桐生選手といっしょに盛り上げていきたいです」と抱負を語った。
東洋大学「リオ五輪報告会」(10月3日)に登壇した同大学陸上競技部の桐生祥秀選手。大学の先輩で水泳部・萩野公介選手とのプライベートの付き合いや、次期シーズンへの抱負などを語った。
東洋大学「リオ五輪報告会」(10月3日)に登壇した同大学陸上競技部の桐生祥秀選手。男子4×100mリレーの第三走者として銀メダルを獲得したが、男子100mが予選29位に終わったことを振り返り、「悔しさもある」と思いを伝えた。
リオデジャネイロ五輪男子競泳400m個人メドレーで金メダルを獲得した萩野公介選手が、在籍する東洋大学で行われた報告会に登壇した。9月28日に右ヒジの手術を行いギプスをつけていたが、五輪を振り返り、今後について語った。