【1964年】サッカーと自転車競技をオリンピック種目から排除する動きが…なぜ? | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【1964年】サッカーと自転車競技をオリンピック種目から排除する動きが…なぜ?

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参考画像:1964年東京オリンピックの様子
  • 参考画像:1964年東京オリンピックの様子
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  • 東京オリンピック・パラリンピックのエンブレム
1964年10月8日の朝日新聞には、第62回国際オリンピック委員会(IOC)総会においてサッカーと自転車競技についてオリンピック種目から排除しようという意見が出たことが報じられている。

その理由としては、「アマチュア」と「プロ」の境目があいまいだからだという。この場は「他の良心的な選手がかわいそうだから」という理由で事なきを得たが、現在のオリンピックから考えると信じられないような議論が起こっていたことがわかる。

一般の人にはあまり知られていないかもしれないが、クーベルタンが始めた近代オリンピックはもともと「アマチュアスポーツの祭典」と言われていたように、アマチュア競技者だけが参加できた。(オリンピック憲章第6条)

「アマチュアのための大会」だったから、大会期間中の選手たちの宿泊費や交通費は、すべて選手側の自己負担を前提にしていたのだ。

1914年に起草されたオリンピック憲章の中に盛り込まれた「アマチュア定義」では、オリンピックに参加できるのは各競技団体からアマチュアと認定された選手に限るとした上で、以下の三点を具体的に記述している。

1.他のいかなるスポーツにおいてもプロフェッショナルであってはならない(一部略)。

2.大会参加のために失われた俸給の払い戻しや補償を受けてはならない(一部略)。

3.体育授業またはスポーツを専門に指導することで収入を得ている学校の教師は参加資格がない。

例えば、オランダの柔道選手ヘーシンクがオリンピックに出られるかどうか、当時問題となった例がある。オランダの道場にたくさんの弟子を抱え、その収入で生活しているヘーシンクが、上記の「3」の規定に抵触する疑いがあるというわけだ。

上述したように、「アマチュアかプロか」という問題は、1964年時点ではかなりメジャーな問題の一つだったことが見てとれる。これは、アマチュアという概念を確率した英国スポーツ界が力を持った、1908年のロンドン大会からの流れでもある。

だが、社会主義国家の選手が、実質的にはスポーツで生計を立てているプロ選手であるにもかかわらず、「社会主義にはプロは存在しない」という理屈でオリンピックに参加して好成績を上げていた「ステート・アマチュア」問題などもあり、最終的には1974年、アマチュア規定はオリンピック憲章から削除され、プロ参加の道が開かれたのだ。

商業化された現在のオリンピックにおいて、こうしたアマチュアリズムが再び台頭してくる可能性は低いとは思われるが、歴史的にプロ選手が出場できなかった時期があったことは、知っておいてもいいかもしれない。

・参考文献
『朝日新聞』 1964年10月8日
小川勝『オリンピックと商業主義』 集英社新書
《編集部》

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