■関根、ユースから昇格して2年目に原口の背番号「24」継承
苦杯をなめ続けた関根との“タイマン勝負”を、試合後に菊池にも聞いてみた。
「ドリブルの緩急やスピード感は、相対していて『嫌だな』という感じはしていましたけど…どちらかと言えば1対1に至るまでのプレー、たとえば関根選手へのロングフィードやサイドでの起点作りが非常に上手かった。関根選手にボールが入ってからは、何でもできるような状況で仕掛けられてしまった。正直、難しかった部分はあるし、守備の時間が多くなってしまいました」
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2014年は背番号「26」だった関根貴大
浦和レッズユースから昇格して2年目となる今シーズンの始動を前にして、関根の背番号は『26』から『24』へ変更されている。実は勇気を振り絞ってフロントに思いの丈を訴え、憧れの背番号の持ち主となった。
小学生時代から憧れてきた、ユースの先輩でもある原口元気(現ヘルタ・ベルリン)が、プロ契約を結んだ2009年から5シーズンにわたって背負ってきたのが『24』番だった。
昨年6月1日。レッズにおける原口のラストゲームとなった名古屋グランパスとのナビスコカップ予選リーグ。終了後に行われた壮行セレモニーで、原口に花束を贈呈したのが関根だった。
そのグランパス戦の後半13分から右ワイドで途中出場した関根は、ホームの埼玉スタジアムのピッチで原口と6分間だけ競演。旅立つ原口は試合後、こんな言葉を残している。
「コイツがいるので、オレは心配していません」
コイツとはもちろん関根のこと。相手の守備網を切り裂くドリブラーの後継者に指名されたからこそ、憧憬の念を抱いてきた先輩の“出世番号”を受け継ぐ覚悟は不退転のそれに変わった。
もっとも、同じドリブラーといっても、相手を抜き去るまでのプロセスはまったく異なる。
■原口と関根の相違点
原口は利き足の右足だけを使い、爆発的なスピードと直線的なコース取りで一気にマーカーを置き去りにする。一方の関根は前述したように左右の両足を駆使し、緩急をつけ、前後だけでなく左右にも変幻自在にコースを変えて常に相手の先を制する。
36歳の大ベテラン、平川忠亮との競争を制し、ファーストステージ第4節の松本山雅FC戦から右ワイドに定着。167cm、61kgの小兵ながらパス主体のレッズの攻撃に化学変化を生じさせ、対戦相手を翻弄し続けてきた。
5月10日のベガルタ仙台戦からは、3試合連続ゴールをマーク。5月の月間MVPを受賞するなど、無敗でのファーストステージに貢献してきた軌跡を関根はこう振り返る。
「いまはあまり背番号を意識していないけど、浦和レッズのサポーターの方々は期待してくれていると思うし、その期待に恥じないプレーをしようと常に思いながら試合に臨んでいる」
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