■A代表は常に狙っている
ベルマーレから日本代表選手が選出されたのは、2010年1月のDF村松大輔(現清水エスパルス)以来となる。もっとも、当時の村松は遠征先のイエメンでインフルエンザを発症し、宿泊先のホテル内で完全隔離されたために試合出場はかなわなかった。
実際にピッチでプレーしたベルマーレ所属の日本人選手は、1998年のワールドカップ・フランス大会に出場したMF中田英寿とFW呂比須ワグナーにまでさかのぼってしまう。
実に17年もの空白を埋めるチャンスを自らのプレーで手繰り寄せたことに、遠藤はクラブを通じて素直な心境をコメントした。
「湘南からA代表に入りたいという想いをずっと持っていました。それがかなったことを嬉しく思います」
制圧という言葉がふさわしい独走でJ2の頂点に立ち、J1への復帰を決めた昨シーズンから、遠藤は常に頂点である日本代表でのプレーを意識してきた。
たとえばハビエル・アギーレ前監督が指揮を執っていた昨秋の数試合を、遠藤はテレビ画面越しに「自分ならばどれだけできるのか、という思いで見ている」と偽らざる思いを口にしている。
「A代表は常に狙っている。J1で戦ったことのある選手がワールドカップのメンバーに入っていた点でも身近に感じるし、3バックでも4バックのセンターバックでも、もっといえばボランチでもアンカーでもプレーできるための準備はしています」
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■リオ五輪U‐22日本代表キャプテン、地に足つけ「なんでもできる選手」へ
来年のリオデジャネイロオリンピックを目指すU‐22日本代表ではキャプテンを任され、ベルマーレでの主戦場である3バックの右とは異なるボランチを、必要な場合にはアンカーを務めてきた。
今シーズンの開幕前に、思い描くサッカー人生の青写真を遠藤に尋ねたことがある。そこにはリオデジャネイロの舞台で戦うことを前提として、こんな短期的目標が描かれていた。
「オリンピックに出場する前に、A代表に入りたい。努力すれば手の届くところにあると、自分の中では思えるようになってきたので。今シーズンのJ1で活躍すればチャンスも出てくる。サッカー選手である以上はA代表を目指すべきだし、そういう思いをモチベーションにして個人的にはプレーしている。そのこだわりは強く持っていきたいけど、だからといってあまり先を見過ぎることなく、地に足をつけながら、自分のやるべきことをしっかりと実践していければ」
貪欲な思いを抱きながら、理想像を追求してきた。
「飛び抜けている部分を作りたくないというか。すべてにおいて平均値の高い、何でもできるプレーヤーになりたいんです」
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