カナダで開催されていた女子ワールドカップで、なでしこジャパンの右サイドバックとして活躍。大会MVP候補にもノミネートされるなど、一躍、時の人となった有吉佐織(日テレ・ベレーザ)は、帰国後も続くフィーバーのなかで"可憐"な輝きを放っている。
「あっ、有吉だ」
帰国して間もないころ。道を歩いていると、スーツ姿の男性や年配の女性からこんな声をかけられた。カナダへ出発する前では考えられなかった状況に、有吉ははにかみながらこんな言葉を返す。
「はーい、有吉です!」
■昼間はフットサルコートで仕事、夜に練習
7月14日からは慣れ親しんだ生活サイクルも戻ってきた。横浜駅前にある「クーバー・フットボールパーク横浜ジョイナス」に午前10時前に出勤。フットサルコートの受け付けなどの業務をこなし、午後4時前に退社。一度帰宅して準備を整えてから、原則として夜間に行われるベレーザの練習へ向かう。
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有吉佐織
ベレーザとの契約形態はアマチュア。報酬が出ないゆえに、仕事との両立を余儀なくされる。大会中にはベレーザ側がプロ契約を検討していると報道されたが、有吉は真っ先にいま現在の職場への感謝の思いを口にする。
「大変というか、クーバーさんには本当にお世話になっていますし、サッカーも仕事も楽しくさせてもらっているので。職場にはいろいろと優遇していただいていますし、サッカー関係の方も多いのでたくさんお話もできるので、すごく気に入っているんです」
日本体育大学からベレーザへ加入したのが2010年。直後にFWからサイドバックにコンバートされ、ほどなくして不動のレギュラーの座を射止めた。対照的になでしこジャパンにおいては、決して順風満帆な道を歩んできたわけではなかった。
デビューは2012年3月。左右のサイドバックでプレーできるユーティリティーさが評価されてコンスタントに招集されていったが、世界一メンバーである左の鮫島彩、右の近賀ゆかり(ともに現INAC神戸レオネッサ)の牙城を破るまでには至らなかった。
ロンドンオリンピックでは、バックアップメンバーのひとりとして現地へ帯同。仲間たちが銀メダルを獲得するまでの軌跡を応援で声をからしながらスタンドから見守り、悔しさを成長への糧に変えた。
【有吉佐織がなでしこジャパンで光り輝いた理由 続く】