2013年シーズンからは、トニーニョ・セレーゾ監督を8年ぶりに招聘。居残りを含めた徹底した猛練習で選手個々を鍛え、小笠原たちの世代を一本立ちさせた厳しさに再建を託した。
同時に柴崎やDF昌子源、MF土居聖真をはじめとする1992年生まれの「プラチナ世代」へのシフトチェンジを、半ばフロント主導で進めた。10年以上も最終ラインの中心を担ってきた岩政大樹(現ファジアーノ岡山)との契約更新を、2013年いっぱいで見送ったのはその象徴と言っていい。
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2008年の小笠原
フロントの思いをくんだ岩政は、こんな言葉を残してアントラーズを去っている。
「残りのサッカー人生で個人の幅をさらにひろげたいという思いと、新しい時代へ進もうとするチームでの自分の最後の仕事として、鹿島アントラーズを去ることを決断しました」
もっとも、選手個々は鍛えられたが、チームとして戦う姿勢、神様ジーコの時代から受け継がれてきた勝者のアイデンティティーが薄まっていく。不慮のケガを避けたいという狙いから、日々の練習におけるスライディングタックルをセレーゾ監督が厳禁としたことも、肝心の実戦において戦う姿勢を忘れさせる一因と化していた。
迎えた今シーズン。ファーストステージで8位に甘んじ、セカンドステージでも出遅れた直後の7月21日に、セレーゾ監督は解任される。アントラーズの歴史において、シーズン途中の監督解任は2度目。一夜明けた22日。鹿嶋市内のブラジル料理店で、選手だけの決起集会が催された。
選手一人ひとりが思いの丈を声にしていくなかで、小笠原はこう訴えた。
「いまのこの成績を、監督だけの責任にしたら男じゃない」
非常事態を受けて選手たちのなかに芽生えた危機感と自立心が、目の前の試合に必ず勝つという、常勝軍団に課された使命をも思い出させた。石井新監督のもとで解禁されたスライデンングタックルが、激しさが高じて一触即発の空気を招くことも少なくない日々の練習における激しさを蘇らせた。
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2011年の小笠原
セカンドステージで優勝争いに絡み、決勝トーナメントから登場したナビスコカップで頂点に経って、約3年間におよんだ無冠の期間に終止符を打った。
「選手やスタッフ、サポーターを含めた全員が、本当はMVPだと思っている。点を取ってもいないのに評価してもらったことは嬉しいけど…そんなに嬉しくもないかな。半分くらいかな。勝てれば何でもいい」
2002年大会に続くMVPを、大会史上最高齢で獲得した小笠原がはにかんだのも一瞬だけだった。未来へつながる道は開けた。それでも、世代交代を完成させる最後のピースだけは、自分たちよりも年下の選手たちが実力で埋め込まなければまったく意味がない。
自らがたどってきた軌跡を思い起こすように、小笠原が笑いながら挑戦状を叩きつける。
「まあ、やれるものならやってみろ、というのはありますけどね。でも、まだまだ僕らも負けていられないので、頑張りたいと思います」
あえて「僕ら」と複数形にしたのは、もちろん深い意味が込められている。
【鹿嶋アントラーズのナビスコカップ制覇と小笠原満男の大会最年長MVPの価値 続く】