ニアサイドにポジションを取ったDF山本脩斗に、相手のマークが集中する。数秒後に訪れるシーンを見越したかのように、左から蹴られたボールはカーブの軌道を描きながら山本とガンバの選手の頭上を超えて、ノーマークで走り込んできたDFファン・ソッコの頭と鮮やかに一致する。
待望の先制点を奪うと、小笠原のもうひとつの武器、ゲームコントール術がさえわたる。
「2点目を狙いすぎて前がかりになっちゃいけないし、やっぱり回すところは回さないといけない。それでも追加点がほしい状況で、いい時間帯にいいリズムでゴールすることができた。そうじゃないときは上手くボールを保持できたし、やるべきことをみんなが理解してできた試合だった」
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2002年の小笠原
サッカーにおける「強者の方程式」というものを、J1で通算500試合出場を達成したばかりの元日本代表DF中澤佑二(横浜F・マリノス)から聞いたことがある。
「しっかりと守って、セットプレーからゴールを奪って勝つ。それが強いと言われるチームなんです」
中村俊輔という稀代の司令塔を擁しているからこそ、守備陣も体を張って守れる。お互いを信頼し合う好循環が、必ず訪れるセットプレーのチャンスで極限の集中力を生み出す、というわけだ。
そして、ナビスコカップ決勝におけるアントラーズも、小笠原を中心として「強者の方程式」を実践していた。
ガンバの反撃をいなしながら、後半39分に再び小笠原が蹴った左コーナーキックからFW金崎夢生が追加点をゲット。その2分後には柴崎のパスを受けたMFカイオが、電光石火のカウンターからダメ押し点を奪う。自陣から柴崎へ縦パスを通したのも小笠原だった。
「僕が一番冷静じゃないと。36歳の選手がテンパっていたらダメでしょう」
メディアから「落ち着いていましたね」と問いかけられた小笠原が、苦笑いを浮かべながら続ける。
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2011年の小笠原
「アントラーズというチームにいれたおかげで、こういう試合を何回も経験してきた。日本代表のワールドカップ予選もそうだし、ワールドカップ本大会もそうだし、本当に緊張なんかしている暇がなかった。90分間でいろいろな流れや展開があるなかで、いま何をすべきなのかを判断するのは自分の仕事。若いころにはなかったというか、この年齢になってすごく冷静に試合を見られるようになった。36歳という年齢はマイナスなものばかりじゃなくて、新たに見えてきたものもある」
ゴールマウスには曽ヶ端準が仁王立ちして、最後尾からアントラーズに安心感を与えた。ベンチからは本山雅志が、大観衆のなかでも確実に、しっかりと届く声を発し続けて仲間を鼓舞した。
いずれも1979年度生まれで、1998年にそろって入団した。1999年に開催されたワールドユース選手権(現U‐20ワールドカップ)で準優勝を果たし、必然的に「黄金世代」と呼ばれるようになった。
【鹿嶋アントラーズのナビスコカップ制覇と小笠原満男の大会最年長MVPの価値 続く】