スポーツジャーナリスト。 日本国内におけるツール・ド・フランス取材の第一人者。 自転車のほか、ボート、卓球、陸上競技、シンクロなどスポーツに関わる取材の守備範囲は幅広い。 本誌では創刊から編集に携わり、編集長を務める。
東日本大震災を契機に移動手段としての自転車が一躍脚光を浴びた。自転車利用者の急激な増加にともなって歩行者との接触事故なども多発することになり、「自転車は車道で左側通行」が各方面で唱えられている。
2014年フランス映画祭オープニング作品として上映された「グレート デイズ! 夢に挑んだ父と子」は、不器用な父親と車いすの息子が2人でトライアスロン完走に挑戦することで親子の絆を取り戻していくさわやかな感動作。
5月のジロ・デ・イタリア、7月のツール・ド・フランスとともに三大大会に位置づけられるスペイン1周レース、ブエルタ・ア・エスパーニャが8月23日から23日間の日程で開催される。
ツール・ド・フランスさいたまクリテリウムが10月25日に埼玉県のさいたま新都心駅周辺で開催されるが、大会を応援する法人・個人を対象としたオフィシャルサポーターズの募集が8月18日から一部開始する。
ツール・ド・フランスのゴール地点に設営される特別観覧席はエスパス(英語で言うとスペース)と呼ばれているが、これらには峠の名前がつけられている。ひとつはピレネーの「ツールマレー」。これは1909年の第7回大会で史上初めて導入された本格的な山岳だ。
7月のツール・ド・フランス開催中、サルドプレスに早めに到着するとレースはまだ始まっていなかったりして、モニターテレビにはフランステレビジョンで放送中の番組がそのまま流されている。定時のニュース番組では「イスラエル軍によるガザ地区空爆」を大々的に報じていた。
ジャイアント・シマノに所属する計成(ジ・チェン)が中国選手としてツール・ド・フランスに初出場し、そして最下位ながら完走を果たした。
ツール・ド・フランスはイタリアのビンチェンツォ・ニーバリが圧勝して終わった。ライバルのクリストファー・フルームやアルベルト・コンタドールに落車・骨折というアクシデントがなくても、もうちょっと接戦にはなったと思うが結果的にニーバリが一番強かっただろう。
ツール・ド・フランスの難所、標高2115mのツールマレー峠を眼下にする宿泊施設に泊まった。130年の歴史を誇るピック・デュ・ミディ天文台で、針のような大岸壁のピークに建造された石造りの研究施設だ。標高はなんと2877m。
ツール・ド・フランスには関係者だけで4500人、3000台が出場198選手とともに駆けめぐる。連日の移動をともなうスポーツ競技としてはオリンピックやFIFAワールドカップをしのぐ壮絶な規模で開催されている。
ツール・ド・フランス第5ステージは「北の地獄」と呼ばれる石畳の悪路を一部通過。折しも土砂降りの悪天候に見舞われ、泥沼と化した路面にタイヤを取られるなど落車が相次いだ。
第一次世界大戦の開戦から100年目となる2014年、ツール・ド・フランスでも激戦地となった北フランスやドイツ国境近くで追悼セレモニーが行われる。7月10日は第6ステージのスタート地点アラスで、戦死したかつての総合優勝者らを追悼する。
ツール・ド・フランス第5ステージは断続的に9カ所の石畳区間が設定されていたが、悪天候のためそのうち2カ所を迂回することになった。
ツール・ド・フランスをボクが初めて取材したのが今から25年前の1989年。自転車雑誌サイクルスポーツの編集者として現地に派遣され、最終日のパリ・シャンゼリゼでグレッグ・レモンが50秒差を大逆転したという、歴史的な瞬間を目撃した。
英国王室のケンブリッジ公爵ウィリアム王子と夫人のキャサリン妃、ヘンリー・オブ・ウェールズ王子が7月5日に英国リーズで開幕したツール・ド・フランスを訪れ、セレモニーに参加した。
9月に43歳となる最年長選手、イェンス・フォイクト(トレックファクトリー)がツール・ド・フランス第1ステージで山岳賞ジャージを獲得した。
第101回ツール・ド・フランスは34カ国から198選手が集結して7月5日に23日間の戦いが始まる。国別の最多数はフランス44、スペイン20、イタリアとオランダが17。日本は1人。中国から大会初の選手が参加する。
3年連続5回目のツール・ド・フランス出場を翌日に控えた7月4日、新城幸也(ヨーロッパカー)が滞在先となる英国リーズ郊外のホテルで日本人取材陣向けの記者会見を開き、「今年はいいシーズン入りができたので、なにかできるような気がする」と意気込みを語った。
アイウエアのオークリーからツール・ド・フランスコレクション2014が発売された。1984年に発売され、グレッグ・レモンがプライベートで購入してツール・ド・フランスで着用したというアイシェードもツール・ド・フランス版になった。
イタリア半島東側のつけ根、エリミアロマーニャ州にチェゼナティコがある。人口わずか2万5000人のこの町が輩出した著名人といえば、サッカー日本代表のアルベルト・ザッケローニ監督、そして自転車選手のマルコ・パンターニだ。
沿道の観衆1200万人。男性63%、女性37%。50歳未満63%、うち25歳未満12%。フランス人80%、海外20%。確認済みの国籍38カ国。
広告キャラバン隊。車両170台。36ブランド。キャラバンスタッフ660人。沿道に配布する販売促進グッズ140万個。キャラバン隊の全長12km。通過に要する時間35分。主催者の誘導スタッフ54人、うち憲兵隊13人。
インターネット。3000万ユニークユーザー、1億1000万ページビュー(いずれも2013年データ)。言語はフランス語・ドイツ語・スペイン語・英語。
テレビ放送。190カ国、約100系列局、うち生中継60局。新規はS4C(ウエールズ)・RTVS(スロベニア)・スポーツネット(カナダ)。国際映像の配信90時間。全世界の総放送時間5500時間。2013年の視聴者総数35億人。
新城幸也(29)が7月5日に開幕するツール・ド・フランスへの出場を決めた。所属するフランスのヨーロッパカーが6月29日に開催されたフランス選手権後に発表したと、レキップ紙が伝えた。
2013年ツール・ド・フランスを取材したメディア数。記者・カメラマン合わせて2000人。報道585媒体。380通信社・ネットメディア。85キー局、うち生中継60局。写真配信75社。ラジオ45局
安全対策。オートバイで帯同する憲兵隊47人、フランス警察13人。沿道の憲兵隊1万4000人、警察9000人、自治体職員1000人。
主催者の数。ASO社員100人、派遣スタッフ280人、1日あたりの主催者・チーム関係者ホテル予約1450床。
2014年のコース。総距離3664km(21区間)。4カ国(英国、フランス、ベルギー、スペイン)。フランス国内33県訪問。36エタップ(スタートあるいはゴールの町)。通過する自治体662(フランス611、英国39、ベルギー9、スペイン3)
2014年の帯同は総勢4500人。主催者、チーム、報道陣、大会協賛各社、広告キャラバン隊、設備関係の技術者。
出場198選手(22チーム、1チームは9人編成)。チームスタッフ合計300人。コミッセール15人。日本のレースだと審判員の数だけムダに多いというのがよくあるが、少数精鋭でこの世界最大の自転車レースを仕切っていくのだからスゴい。
FIFAワールドカップでまさかのグループリーグ敗退となったイングランド、スペイン、イタリアのファンはすでに7月5日に開幕する23日間の自転車レース、ツール・ド・フランスに関心を移行し、同大会でリベンジを図る心境だ。
第一次世界大戦は1914年6月28日にサラエボ(現ボスニア・ヘルツェゴビナ)で開戦したが、100年に当たる同日にツール・ド・フランスが同地でサイクリング大会を開催し、戦争の犠牲者を追悼する。
1903年に始まったツール・ド・フランスは2003年に記念すべき100周年を迎え、続いて2013年が第100回大会となった。あれ? 数字が合わない!と思うだろうが、二度に及ぶ世界大戦によって中断を余儀なくされた過去があるからだ。
2014ツール・ド・フランスのコース
ブラジルの22歳、ネイマール(Neymar)が現在最も注目されている男だ。FCバルセロナ所属。ブラジル代表のフォワードとしてFIFAワールドカップ・ブラジル大会で脚光を浴びている。
「天空の城ラピュタ」のモデルになったとも言われるコルドシュールシエル村はフランス中南部に実在している。「シュールシエル=sur ciel」とはフランス語で「天空の」という意味。
ジロ・デ・イタリアでコロンビア勢として初優勝したナイロ・キンタナ(モビスター)が7月5日に開幕するツール・ド・フランスを欠場する予定であることがチームから発表された。エースはスペインのアレハンドロ・バルベルデになる。
4年に一度のサッカーW杯(FIFAワールドカップ)は毎回6月上旬に開幕し、およそ1か月の日程で開催される。つまり決勝は7月第一週、あるいは第二週の日曜日だ。ということで4年に一度、ツール・ド・フランスはワールドカップとみごとに日程がカブることになる。
オランダ登録のジャイアント・シマノがツール・ド・フランス参加候補として13選手のリストを発表。中国の計成(JI Cheng)が候補選手としてリスト入りしたが、最終的な9選手の中に残れば史上初の中国選手の参加となる。