【THE REAL】不動のキャプテン・遠藤航の決意…初めての世界大会で、育成年代の集大成となるメダルを 2ページ目 | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【THE REAL】不動のキャプテン・遠藤航の決意…初めての世界大会で、育成年代の集大成となるメダルを

オピニオン コラム
遠藤航 参考画像(2016年7月30日)
  • 遠藤航 参考画像(2016年7月30日)
  • 遠藤航 参考画像(2016年7月30日)
  • 羽田空港でサッカーU-23日本代表の壮行会が開催(2016年7月21日)
  • 遠藤航 参考画像(2016年1月13日)
  • 遠藤航 参考画像(2015年11月17日)
  • サッカーU-23日本代表の手倉森誠監督(左)と遠藤航(2016年1月30日)

◆オリンピックにいく前に、A代表には入りたい

日本時間6日に開会式を迎えるリオデジャネイロ・オリンピックは、遠藤が初めて臨む世界大会となる。実はこれまでに2度、U‐20ワールドカップに通じる扉に手をかけたことがある。

最初は2010年10月。U‐19アジア選手権に臨んだU‐19日本代表にただ一人、17歳で選出されたベルマーレユース所属の遠藤は、チーム最年少ながらセンターバックのレギュラーとしてチームを支える。

迎えたU‐19韓国代表との準々決勝。勝てばU‐20ワールドカップ出場が決まる大一番で、幸先よく2点のリードを奪った日本は執拗なロングボール攻撃にさらされたあげく、悪夢の逆転負けを喫してしまう。

高校生ながらベルマーレの一員としてJ1の舞台にも立っていた遠藤は、日の丸を背負った戦いの厳しさを痛感させられる。試合後に敵将イ・グァンジョンが放った言葉も、17歳の胸に深く突き刺さった。

「相手のセンターバックの身長がそこまで大きくなかったので、逆転は可能だと思っていた」

翌2011シーズンからはトップチームへ昇格。178cm、75kgのサイズを補ってあまりある武器を手に入れるために、実戦のなかで1対1における強さ、カバーング能力、ビルドアップ能力を磨き上げた。

迎えた2012年11月。2度目のU‐19アジア選手権に臨んだ遠藤はキャプテンを拝命。前回に味わわされた悔しさを糧に、日本をU‐20ワールドカップへ導くために開催国UAEへ向かった。



遠藤航 参考画像


◆A代表に向けて

しかし、結果はまたしても準々決勝敗退で4ヶ国に与えられるワールドカップ切符を逃す。スコアこそ1-2だったが、内容はU‐19イラク代表に終始圧倒される完敗に、遠藤はこんな言葉を残している。

「この大会を通じて、相手の球際の強さやフィジカルの強さ、勝利への執着心をあらためて痛感した。全員がクラブに戻ってから、この大会で得た経験を無駄にすることなく取り組んでいけなくてはいけない。絶対に無駄にしてはいけない」

短いコメントのなかに「無駄」という単語を2度も用いたところに、最後の年代別の世界大会となるリオデジャネイロ・オリンピックへ向けて、捲土重来を期す遠藤の熱い想いが伝わってくる。

晴れて出場権を手にして、リオデジャネイロでの戦いを終えれば、あとは年齢制限のないA代表における戦いが待つ。自らの成長曲線を鑑みながら、遠藤はこんな目標を新たに打ち立てていた。

「オリンピックにいく前に、A代表には入りたい」

この言葉を聞いたのはレッズから届いたオファーを断り、ベルマーレへの残留を決めた直後の2015年2月。中田英寿と呂比須ワグナーがエジプト代表との国際親善試合に臨んだ1998年10月を最後に、ベルマーレの所属選手がA代表でプレーしたことはなかった。

それでも遠藤は自身をベルマーレユースに誘ってくれた恩師でもある、曹貴裁監督の厳しくも温かい指導のもとで、可能性がどんどん膨らんでいく手応えを感じていた。

「J1で戦ったことのある選手がA代表でプレーし、ワールドカップのメンバーに入っている姿を見ていると、A代表という存在がだんだん近くなってきたというか、努力すれば手の届くところにあるんじゃないかと、自分のなかで思えるようになってきた」

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《藤江直人》

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