プロ選手の全面解禁を求める国際オリンピック委員会(IOC)と、ワールドカップの権威を守りたい国際サッカー連盟(FIFA)。両者の利害が平行線をたどるなかで、折衷案として1992年のバルセロナ大会から設定された年齢制限は次のように定義されている。
「オリンピックが開催される前年の12月31日時点で、23歳未満の選手」
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遠藤航 参考画像
自らの生年月日と規定とを照らしあわせたとき、1993年2月9日生まれの遠藤航はいわゆる「リオ世代」をけん引していく立場になると自覚する。そのうえで、リオデジャネイロ五輪をこう位置づけた。
「アンダー世代(年代別の日本代表)における集大成の場となる」
迎えたオリンピックイヤーは、激戦の連続だった1月のU‐23アジア選手権を勝ち抜き、6大会連続となるオリンピック切符に「23歳以下のアジア王者」の肩書を添えて幕を開ける。
J1の舞台においては、ユースから8年間も慣れ親しんだ湘南ベルマーレから、2年越しのラブコールを受けていた浦和レッズへ完全移籍。そして、ピッチを離れたところでも大きな変化が訪れる。
5月18日に産声をあげた第三子となる次男。夫人の愛実さんの妊娠が判明したときから、遠藤のなかで温められてきた名前に、2016年にかける熱い想いが凝縮されている。
最初から読み方だけは決めておいて、生まれたあとに長男の理玖(りく)くんに合わせて漢字「理将」が考えられた次男の名前は、ずばり「りお」と読む。
いうまでもなく、リオデジャネイロにちなんで命名したものだ。あえて「お」と読ませた「将」には「パパはキャプテンとして、リオで開催されたオリンピックを戦ったんだよ」と伝えたかったからだろうか。
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