【THE REAL】中山雅史がアスルクラロ沼津に伝える魂…衝撃の現役復帰、幕を開ける「不死鳥伝説」 | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【THE REAL】中山雅史がアスルクラロ沼津に伝える魂…衝撃の現役復帰、幕を開ける「不死鳥伝説」

スポーツ 選手
中山雅史(2014年)(c)Getty Images
  • 中山雅史(2014年)(c)Getty Images
  • 中山雅史(2014年)(c)Getty Images
  • 中山雅史(2014年)(c)Getty Images
  • 中山雅史(2001年)(c)Getty Images
  • 中山雅史(1998年)(c)Getty Images
痛み止めの注射を打って試合に強行出場する選手はいても、チームの練習に歯を食いしばって臨む選手はまずいない。常識的に考えてもありえないと思っていたからこそ、一報を聞いたときには耳を疑った。

「ゴンさんは痛み止めの注射を打って、練習に出ているそうですからね」

ゴンとはもちろん中山雅史のことだ。2009年シーズンも中盤戦にさしかかったころ。インタビュー取材を受けていたあるチームの主力選手が、中山の話題になったときに、苦笑いを浮かべながら闘志をかき立てていたことを思い出す。

「僕も負けていられない、という気持ちになりますよ」

■2009年、42歳で戦力外通告

スポーツ医学的には、決して勧められる行為ではない。慢性的に抱えていた両ひざの激痛を、むしろ悪化させかねない。それでも、痛み止めの注射という言葉からは、試合出場にかける中山の執念にも似た思いがひしひしと伝わってくる。

100%の状態で練習に臨めなければ、実戦でプレーできるはずがない。哲学を貫き通したジュビロ磐田での2009年シーズンはしかし、1試合のみの出場に終わる。42歳という年齢もあって、シーズン終了を前に戦力外を通告された。

フロントから勧められたスタッフ入りを断り、6クラブから届いたオファーのなかからコンサドーレ札幌を選んだ中山は、現役に固執する理由を独特の熱い口調で語っている。

「現役生活が一番幸せ。やめたり、あきらめたりするのはいつでもできる。無様な姿をさらすかもしれないけど、それが僕のサッカー人生です」

■「未練タラタラです」退団会見から2年9カ月、まもなく48歳

コンサドーレでの3シーズンでも13試合の出場にとどまり、2012年シーズンを最後に第一線から退く決意を固める。もっとも、あくまでも一時的なもの。頑なに「引退」の二文字を口にせず、その後に引退試合も行っていない中山は、コンサドーレからの退団を表明した記者会見の席でこんな言葉を残している。

「もう未練タラタラです」

サッカー解説者などの仕事の合間を縫い、専属トレーナーのもとで両ひざのリハビリを課してきたこの2年9カ月。くすぶっていた炎は時間の経過とともに再び真っ赤に燃え盛り、そこへアスルクラロ沼津からのオファーが届いた。

アスルクラロの役員を務める山本昌邦氏は、かつてジュビロのヘッドコーチおよび監督として中山を指導したこともある。中山の姿勢に胸を打たれたよき理解者のもとで練習に参加し、心と体のベクトルを確かめた末に弾き出された結論が、48歳の誕生日を目前に控えての現役復帰だった。





両ひざの状態や長く実戦から遠ざかっている状態などを考えれば、ピッチに立つにしても試合終盤の限定された起用となるだろう。いわゆるスーパーサブ。思い起こせば日本代表でも途中出場から数少ないチャンスをものにして、記憶と記録に残る選手となった。

■日本サッカー界の成長とともに

Jリーグが産声をあげる前年の1992年秋に、広島で開催されたアジアカップ。中山は北朝鮮代表とのグループリーグで同点弾を、中国代表との準決勝で決勝弾をいずれも途中出場で叩き込んで、ハンス・オフト監督に率いられる日本代表の初優勝に貢献した。

当時の自分の立場を、中山は得意の下ネタを駆使しながらこう表現していた。

「チームが下痢のときと便秘のときにだけ、僕に出番が回ってくるんですよ」

中山流の定義では「下痢」は大差がついている、対照的に「便秘」は拮抗している試合展開となる。当時から後者での出番が多かったが、30歳を超えてベテランの域に達すると、同じ「便秘」でも求められる仕事の内容が増えてくる。

【次ページ トルシエ監督がシンボルと認める存在】
《藤江直人》
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