【THE REAL】中山雅史がアスルクラロ沼津に伝える魂…衝撃の現役復帰、幕を開ける「不死鳥伝説」 2ページ目 | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【THE REAL】中山雅史がアスルクラロ沼津に伝える魂…衝撃の現役復帰、幕を開ける「不死鳥伝説」

スポーツ 選手
中山雅史(2014年)(c)Getty Images
  • 中山雅史(2014年)(c)Getty Images
  • 中山雅史(2014年)(c)Getty Images
  • 中山雅史(2014年)(c)Getty Images
  • 中山雅史(2001年)(c)Getty Images
  • 中山雅史(1998年)(c)Getty Images

■「ナカヤマはこのチームのシンボルだ」トルシエも絶賛

たとえば、2001年に日本と韓国で共同開催されたコンフェデレーションズカップ。現時点で日本代表の最高位となる準優勝に輝いた舞台で、中山は5試合中で4試合に途中出場している。

トータルの出場時間は115分。放ったシュートは2本。ゴール、アシストともゼロに終わった中山は、それでも鮮烈すぎるほどの残像をファンやサポーターの脳裏に刻んでいる。

ほんの少しでも得点の匂いを嗅ぎつければ、体を投げうってでもゴール前の危険地帯へダイブする。点取り屋の本能をむき出しにしながら、前線から鬼気迫る表情で相手のボールホルダーを追いかけ続け、キーパーへのバックパスにはスライディングタックルをしてでもプレッシャーをかける。

文字通り「魂」を感じさせる一挙手一投足に、この大会で代表初ゴールをマークしているFW鈴木隆行(当時鹿島アントラーズ)はこんな言葉を残している。

「途中で疲れ果てて、もうボールを追えないと何度も思ったけど、中山さんのあの姿を見たらやらざるをえない気持ちになりました」





エキセントリックな性格から「赤鬼」と畏怖されたフィリップ・トルシエ監督も、中山に対しては「チームへのエネルギー注射だ」と賛辞を惜しまなかった。

「ナカヤマはこのチームのシンボルだ。誰もが彼に畏敬の念を抱いていた。ピッチに立てば仲間たちの闘争心をかきたて、練習でもいいムードを作ってチームをいい方向へ導いてくれた。彼が他の選手に与えた影響は計り知れないほど大きい。ナカヤマが不可欠な存在だと認識させられた」

おそらくは新天地アスルクラロでも、2001年当時のトルシエジャパンと同じ役割を託されるはずだ。

■さらなる飛躍へ、アスルクラロ、中山は最高の羅針盤

4部リーグに相当するJFLを戦い、来シーズンからのJ3参入を目指すアスルクラロは、キャプテンを務める30歳のDF尾崎瑛一郎が最年長の非常に若いチームだ。

最年少はJ3のAC長野パルセイロから期限付き移籍したばかりのFW平岡将豪の20歳で、中山の半分にも満たない。全員がアマチュアで、午前中に練習を行ってから午後に各々が地元の職場へ向かう。

体力的にもきついなかで、サッカーと仕事の両方に全力で取り組む日々。未来を夢見る若手たちにとって、2つのギネス記録やJ1得点王、ワールドカップ第1号得点者などの肩書も何も関係なしに、文字通り裸一貫からの再出発を期す中山の背中は最高の羅針盤となる。

実際、中山に憧憬の念を抱き、その魂を受け継いできた日本人ストライカーは数多い。

■「あの人の背中を見て育った」

中山がもつJ1歴代最多ゴール記録の「157」にあとひとつと迫っている佐藤寿人(サンフレッチェ広島)は、3頭いる愛犬ミニチュアダックスフントの一番上を「ゴン」と命名している。

あらためて説明するまでもなく、「ゴン」とは筑波大学時代につけられ、いまも市民権を得ている中山のニックネームだ。けがをも恐れない中山のプレースタイルに胸を打たれ、170cm、71kgのサイズで弱肉強食の世界を生き抜く覚悟を心身に刻み込むために、愛犬に中山のニックネームを頂戴した。

元日本代表の前田遼一は、中山が全盛期を迎えていた2000年シーズンにジュビロでプロとしてのキャリアをスタートさせた。2年目のキャンプでは、持久力テストでトップの数字を叩き出す。

これに一念発起したのが当時33歳の中山だった。風邪で体調を崩していたことなど忘れ去り、負けん気だけで前田の数字を上回ってみせた。

14年前の中山と同じ33歳で迎えた今シーズン。前田は15年間も在籍したジュビロからFC東京に新天地を求め、9月12日のヴィッセル神戸戦で6シーズンぶりとなるハットトリックを達成。通算ゴール数を「145」に伸ばし、中山との差を詰めた試合後にはこんなコメントを残している。

「本当にあの人の背中を見て育ったので」

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《藤江直人》

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