【村田諒太 再戦へのゴング vol.1】負けたことで手に入れた自信 | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【村田諒太 再戦へのゴング vol.1】負けたことで手に入れた自信

オピニオン コラム

【村田諒太 再戦へのゴング vol.1】負けたことで手に入れた自信
  • 【村田諒太 再戦へのゴング vol.1】負けたことで手に入れた自信
  • 【村田諒太 再戦へのゴング vol.1】負けたことで手に入れた自信
  • 【村田諒太 再戦へのゴング vol.1】負けたことで手に入れた自信
  • アッサン・エンダム(左) とWBA世界ミドル級王座決定戦で戦う村田諒太(2017年5月20日)
5月20日の有明コロシアム。その判定に観衆がどよめいた。ボクシングのWBA世界ミドル級王座決定戦で村田諒太(帝拳)が負けた。最終12回まで戦い抜いた末の判定負けだった。

アマチュア時代の2012年にロンドン五輪ボクシングミドル級で金メダルを獲得した村田は、2013年8月にプロデビュー。順調に勝利を重ね、12戦全勝(9KO)で有明コロシアムのリングに立った。

相手は当時WBA世界ミドル級1位にいたフランスのアッサン・エンダム。村田は同級2位だった。空位となっていた王座をかけた一戦、長らく日本人チャンピオンの誕生していない世界ミドル級の試合、そして金メダリストでもある村田の挑戦は注目を集めた。

だが、4回にエンダムからダウンを奪ったものの、序盤の手数の少なさが判定に響き、村田は1-2(117-110、111-116、112-115)で破れる。試合前に「勝っても負けても次があるという試合なんか観ても面白くない。スタートなのかエンディングなのかわからない。それがボクシングの魅力」と語っていた。プロボクサーにとって敗北は引退に直結することもある。一戦一戦が己の人生をかけた戦いだ。

アッサン・エンダム選手(左)と戦う村田諒太選手 (c) Getty Images

それもあってか、この判定結果にボクシング界とファンは騒然とした。試合直後から判定への疑問の声が挙がり、ついにはWBAのヒルベルト・メンドサJr会長が謝罪するまでに至った。そして会長自ら試合を見直し、117-110で村田を勝ちとする判定をツイッターで公表。「DIRECT REMATCH(ダイレクトリマッチ)」として、再戦の指令を下した。村田を負けとしたジャッジ2名は、WBAから6カ月の資格停止処分を受けることになる。

あれから5カ月が過ぎた。その間に村田は6月8日に現役続行を宣言し、8月3日にはエンダムと完全決着をつける再試合を両国国技館で10月22日に行うことを発表。運命のリングに上がるまで残り1カ月を切った9月下旬に、村田の心境を聞きに行った。

村田と私が二人で話したのは5月以来だ。リング上では獲物を狙う野獣のような鋭い眼差しを見せる村田だが、普段はよく笑い、よくしゃべり、二児のパパでもある31歳。この日もざっくばらんに話してくれた。

負けたが「通用する」という結果が出た


まず最初に、世間から「疑惑の判定」など思わぬ形で注目された前回のエンダム戦について聞くと、「(金メダルを獲得した)オリンピックの時ほどではないですが、同じように認知度や声をかけられる頻度は増えました」と苦笑いする。

世界レベルの相手とは初対決となった前試合。判定負けを喫したが、そもそも村田は一流選手にどこまで通用するか半信半疑の気持ちで臨んでいた。12回まで戦えたことは自信につながったと振り返る。

「自信というものは結果が表れて初めてつくもので、努力は自信をくれないんですよね。『これだけやってきたから』というものがあっても、それは確信にならないというか。どれだけ練習で良くても、どれだけ努力をしても、結果が出なかったらむしろ逆のこともあるわけです。『これだけ頑張ったのにダメだった』となったら、『もうボクシングに向いていないんだな』と思ったりするのが実際のところで。だから結果が表れることはすごく重要です」

負けて落ち込むのではなく、自信がついた。それが現役続行の後押しになったのだろう。

「結果は負けましたけど、負けたのに結果が表れたというのはなんですが『通用する』という結果は出たと思います。それがくれた確固たる自信は大きいですね」

帝拳ジムで練習する村田諒太選手 撮影:五味渕秀行

プロボクサーとしての自覚


4月の記者会見では、試合を組んでくれた関係者に対して開口一番、感謝の気持ちを伝えていた。それは彼がプロボクサーだからだ。ゴングが鳴ってリングに立てば、たったひとりで対戦相手と向き合うボクシングだが、そこに到るまでの過程には多くの人々が関わってくる。プロになれば、なおさらその数は増える。

現役続行を決めるまでどれくらい悩んだか尋ねると、そこにはプロとしての強い自覚を持って生きる村田の答えがあった。

「一番根本的な問題は、やはりプロボクサーだということです。プロボクサーとアマチュアボクサーの何が違うかというと、まずプロモーターがいるわけですよね。試合を組んでくれる方がいて、さらに観にきてくれるファンの方がいる。それがあって初めてプロボクサーであって、自分ひとりで『はい。僕はプロボクサーです』って言えるかというと、そうではなくて。試合を組んでくれるのか、くれないのかというところがプロと言えるかどうかの問題なわけですよね」

判定負けが決まった後の会見でも、自分を支えてくれた人々へ「勝てなかったことが、ただただ申し訳ない」と頭を下げた。そんな村田を再びリングに立たせるために、関係各所から継続したサポートが行われた。支え続けてくれる人がいるからこそ、現役続行に迷いはなかった。

「逆にオリンピックで終わりにしてやめておけばいいものを、やめずにボクシングにすがるというか、ボクシング頼りで生きてきている人間が、ここで判定で負けたからといってやめられるほどスッキリした性格でもないわけです(笑)。だから、そんなに悩むというのはなかったですね。続けられるなら続けたいというのが、強い気持ちでしたね」

村田諒太選手は前回の試合後、すぐにトレーニングを開始していた 撮影:五味渕秀行

その一方で、試合後は目に異常を感じていた。眼圧が下がり、「ダブルビジョンみたいにボヤけていた」という。

「それが網膜剥離などだったら現役はできないなと思っていて。1週間くらい続いていたので病院に行って検査を受けたら、『そんなことはない。(試合で受けた)衝撃で眼圧が下がってブレるだけ』と診断されました。それが治ったら走り出しました」

世界レベルの相手と対等に勝負できる自信と、自分を支援してくれる人々の気持ちに応えたい気持ちを胸に、村田はすぐにトレーニングを再開していた。立ち止まることはなかった。

【村田諒太 再戦へのゴング vol.2】ボクシングは己の存在を示すもの に続く。

●村田諒太(むらた りょうた)
1986年1月12日生まれ、奈良市出身。帝拳プロモーション所属。2012年にロンドン五輪ボクシングミドル級で金メダルを獲得して脚光を浴びる。アマチュア時代の戦績は137戦118勝89KO・RSC19敗。2013年8月にプロデビューし、戦績は13戦12勝(9KO)1敗。趣味は子育て。

取材協力:ナイキジャパン
《五味渕秀行》

編集部おすすめの記事

page top