【村田諒太 ミドル級王者への道 R1】金メダリストの世界タイトル挑戦 | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【村田諒太 ミドル級王者への道 R1】金メダリストの世界タイトル挑戦

オピニオン コラム
世界タイトルマッチに挑戦する村田諒太(2017年4月3日)
  • 世界タイトルマッチに挑戦する村田諒太(2017年4月3日)
  • 世界タイトルマッチに挑戦する村田諒太(2017年4月3日)
  • 世界タイトルマッチに挑戦する村田諒太(2017年4月3日)
  • 世界タイトルマッチに挑戦する村田諒太(2017年4月3日)
  • 世界タイトルマッチに挑戦する比嘉大吾(左)、村田諒太(中央)、拳四朗(2017年4月3日)
  • 世界タイトルマッチに挑戦する比嘉大吾(左)、村田諒太(中央)、拳四朗(2017年4月3日)
  • 帝拳ジムの浜田剛史代表(2017年4月3日)
  • 『ボクシングフェス2017 トリプル世界タイトルマッチ』記者会見(2017年4月3日)
2012年8月11日。英国のリングでひとりの日本人ボクサーが頂点を極め、両手の拳を突き上げた。

ロンドン五輪ボクシング日本代表の村田諒太はミドル級で金メダルを獲得した。日本人選手のボクシング金メダルは、1964年東京五輪でバンタム級に出場した故桜井孝雄氏以来となる48年ぶりの快挙だった。

2013年にプロ転向した村田は順調にキャリアを積み上げていく。金メダル獲得から4年以上の歳月が流れると、「村田の世界挑戦はいつになるのか」と待ちわびる声も多く挙がるようになった。

ついにその瞬間が訪れることになる。2017年4月3日、村田が5月にWBA世界ミドル級王座決定戦に挑戦することが発表された。

村田諒太の試合は5月20日に開催される『ボクシングフェス2017 トリプル世界タイトルマッチ』で行う。村田ら3選手が世界に挑む。4月3日に合同記者会見が実施された。

記者会見で村田が最初に口にしたのは、マッチメイクに向けて奔走した帝拳の本田明彦会長ら関係者への感謝の言葉だった。プロ入り前からミドル級という階級が大変だと聞いていたからだ。

「それはファイターにとって大変なものだと思っていましたが、大変なのは僕ではなく、サポートしていただいている皆さまのおかげでこの試合が組んでもらえたと思っています」

世界タイトル挑戦の気持ちを語る村田諒太。

世界ミドル級にはWBA・WBC・IBFのボクシング3団体で頂点に君臨するゲンナジー・ゴロフキン(カザフスタン)の存在があり、彼を中心にビッグマッチが動いているとも言える。WBO世界ミドル級2位の村田は当初、WBO同級王者ビリー・ジョー・サンダース(英国)との試合を望んでおり、帝拳プロモーションによる交渉も進み、昨年末には今春のサンダース戦を期待する報道もあった。

しかし実現には至らず、そうしている内にゴロフキンとWBA世界ミドル級正規王者ダニエル・ジェイコブス(米国)による王座統一戦が3月18日にニューヨークで開催されることになった。前評判通りにゴロフキンが勝利した結果を受け、ジェイコブスが保持していたWBA世界ミドル級レギュラー王者が空位となる。

村田はWBA世界ミドル級ランキングでも2位に着けていた。そこでWBA同級1位のアッサン・エンダム(フランス)とレギュラー王者をかけた試合に村田陣営はシフトチェンジ。世界タイトルマッチへの段取りは実を結び、ついに扉が開いた。

世界タイトルマッチに挑戦する3選手。左から比嘉大吾、村田諒太、拳四朗。

記者会見では帝拳プロモーションの浜田剛史代表も「このクラスで(試合が)決まること自体が相当大変なこと」と話し、胸をなで下ろしている。

「決まるか決まらないか、その状況でずっと来ていた村田の精神状態、モチベーションが保てるか心配でした。デビューから4年。一番いい時、モチベーションも最高。技術的にもやることは全部身につけました」

村田の世界タイトルマッチは5月20日に決まった。舞台はプロデビュー戦と同じ有明コロシアムだ。

■「日本代表」から「村田諒太」へ

昨年11月にインタビューした縁もあり、村田に直接気持ちを聞く機会に恵まれた。世界タイトルマッチが決まった胸の内を聞いてみると、ロンドン五輪以降に過ごしてきた時間は「いい期間だった」と教えてくれた。

「もちろんよくない試合もありました。試合内容として判定だったり、動きが良くない試合も何回かありましたが、そういうのを経験してからここまで来ている。逆にそういう経験がないまま来るよりは、ボクサーとしても人間としても良かったのかなという気がしています」

ジムでトレーニングをする村田諒太。画像提供:ナイキジャパン
画像提供:ナイキジャパン

2013年8月25日にプロとしてリングに上がった村田。以降、昨年末の世界前哨戦まで12戦全勝(9KO)で突き進んできたが、勝利以外にも多くの収穫があった。

これまで“金メダリストのプロボクサー”として注目を集めてきた。アマチュア時代の五輪は「日本代表」の看板を掲げていたが、世界タイトル戦は「村田諒太」の看板を背負う。五輪同様に周囲の期待は高まるが、プロだからこそ受けるプレッシャーがある。

「オリンピックのとき以上に、プロという世界で僕に対してサポートしてくださっている方が多いので、そういった意味でのプレッシャーもあります。でもオリンピックという大きな舞台、プレッシャーのかかる舞台で戦った経験があり、その辺りのメンタルのコントロールの仕方は前よりうまくできるんじゃないかと思っています」

画像提供:ナイキジャパン
画像提供:ナイキジャパン

金メダルを獲得した当時は有頂天になりハメを外したそうだが、プロとしての道を歩んできた現在の村田は世界タイトルマッチが決まっても実に落ち着いている。待ち望んだ一戦だけに心の中には燃えたぎるものはあるだろうが、記者会見での受け答えも冷静だった。

世界タイトルへの挑戦について尋ねてみると、「リングに立ってみないとわからない」という答えが返ってきた。

「日に日に変わっていくものだと思うんですよ。今の何カ月か前という段階での気持ちと、スパーリングが始まったときの気持ちってやっぱり変わってくるじゃないですか。調子が良ければ自信になってくるだろうし、調子が悪くなったりしたら不安になるかもしれない。だから今の時点で何かというと別にないんですけど、ただトレーニングのプランは立てて、今はそのプラン通りに実行している。それをやってベストを尽くして、それだけですね」

この日は2時間ほど汗を流した。画像提供:ナイキジャパン

少しだけ時間を戻そう。世界タイトルマッチの記者会見が行われる数週間前、村田のフィジカルトレーニングに立ち会えた。年末に行われた世界前哨戦でブルーノ・サンドバル(メキシコ)に勝利した村田は、遠くない未来で訪れる世界タイトル戦を見据えていた。

こちらの投げかける質問に対して村田は多弁で、独特の思考を展開する。5月20日の決戦に向けて、プロボクサー村田諒太の内面に迫っていく。


Round 2に続く→【村田諒太 ミドル級王者への道 R2】恐怖心とメンタル「できることだけを考える」

●村田諒太(むらた りょうた)
1986年1月12日生まれ、奈良市出身。帝拳プロモーション所属。2012年にロンドン五輪ボクシングミドル級で金メダルを獲得して脚光を浴びる。アマチュア時代の成績は137戦118勝89KO・RSC19敗。2013年8月にプロデビュー。以降、2016年12月のブルーノ・サンドバル戦まで12戦全勝(9KO)。

取材協力:ナイキジャパン
《五味渕秀行》

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