うんざりするような暑さのなかを旅に出るならば、やはり涼しげな場所がいい。かといって、旅先がクーラーの効いた家屋の中というのでは、どうにも夏旅の風情に欠けるというもので、やはり夏らしく外を歩きたい。
という訳でやってきたのが千葉県の養老渓谷。そこには夏の太陽の強い日差しを受けて、子どもを連れた観光客が水辺で涼しげに遊ぶ姿があった。何とも夏休みらしい光景である。
谷間を流れる養老川によって形成された渓谷には、千葉県最大の落差を誇る粟又の滝や、幻の滝といわれる小沢又の滝、トンネルの上部が崩壊した弘文洞跡、出世観音がある養老山立國寺などがあり、自然の優雅さや長い歴史を肌で感じることができた。
●何かが動く気配を感じる…
ひと通り渓谷を歩いた後、筆者の目を引いたのが「出世観音」と書かれた看板である。もはや、「出世街道」など遥か彼方に霞んで見えるほどに遠い存在になり、出世ではなく「出征」街道を歩んでいるような状況だが、それでも希望は捨てきれず、その看板の先にある観音橋を渡った。
橋を渡り、階段を上り終えると「養老山立國寺」がある。叶いそうもない願いをいたずらに願ったあと、寺の先が小さな山になっていて、そこに通じる道があることに気づく。そこに山があるだけで道がないならば登りはしないが、道があるなら登ってみたくなるもので、ひょいと散策をしてみることにした。
杉の樹林の中を歩き出してすぐに、何かが動く気配を感じた。その方を凝視すると、そこにいたのは猿であった。
林の中の猿たちは筆者の姿を見るなり、一目散に逃げていってしまった。せっかく猿に出会えたのだから、もうちょっと近くで見たかったのだが。残念に思っていると、強烈な威圧感を覚える。大きな猿がこちらをじっと見ていたのだ。
その風格からして、きっとこの猿山のボス猿に違いない。一歩前に踏み出しても、ボス猿は微動だにせず、筆者を睨んだままである。
(ここから先は入っちゃいけない。ここは猿の渓谷なのだ)
猿の警告に背筋を凍らせた筆者は、渓谷を“去る”しかなかった。
《久米成佳》
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