【THE INSIDE】高校野球探訪(2)瀬谷高校・平野太一監督…熱い気持ちをユニフォームに込めた強いこだわり | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【THE INSIDE】高校野球探訪(2)瀬谷高校・平野太一監督…熱い気持ちをユニフォームに込めた強いこだわり

オピニオン コラム
「球際」を厳しく指示する瀬谷・平野監督
  • 「球際」を厳しく指示する瀬谷・平野監督
  • シートノックをする瀬谷の平野監督
  • 瀬谷のシートノック
  • 瀬谷の集合写真
  • 瀬谷ナイン
  • 瀬谷ベンチ前のミーティング
  • 瀬谷・南との練習試合前挨拶
  • 瀬谷・平野太一監督(左)
高校野球の指導者の多くは、母校で指導者としてやってみたいという想いが強い。しかし自分の故郷を離れて、「この県で指導者をやりたい」という指導者もいる。神奈川県立瀬谷高校の平野太一監督もそんなひとりだ。

「もちろん、野球を選手として継続していくことも、故郷に帰って指導者になるということも考えました。だけど、高校野球の最激戦区でもある神奈川県でやってみたい想いが強くなった。それでまったく縁もゆかりもなかった神奈川県ですが、採用試験を受けました」

そんな強い想いを持っていた。

■思い切って神奈川県へ

平野監督は大分県立別府鶴見丘高校の出身だ。卒業後は岡山県の川崎医療福祉大へ進学し、体育教員の免許を取得。神奈川県の採用試験は一発合格で、晴れて神奈川県で高校の保健体育科教員となった。初任校は津久井浜だったが、そこで5年間監督を務めた。

何しろ知人の縁故もなかった神奈川県である。あったのは、自分の想いだけだった。


神奈川県立瀬谷高校・野球部

そこで自分と同様に、かつて徳島市立から国士舘大を経て、野球部が創部されたばかりの横浜隼人(当時は隼人)に新任として採用され、2009年には甲子園にまで導いた水谷哲也監督を訪ねた。面識があったわけではないが、水谷監督の熱さとチーム作りへの想いが紹介された文献を見たり、人伝てで話を聞いていた。そんな情報をもとに、当たって砕けろの気持ちで直接電話で連絡を取り、アドバイスを受けに行った。

実は水谷監督も隼人の監督に就任した当初、ノートひとつ持って飛び込みで横浜の名将・渡辺元智監督を訪ねていったエピソードがある。そのため水谷監督は若い平野監督を温かく迎え入れ、アドバイスやヒントを与えた。

「神奈川県に縁もゆかりもない中で、想いだけで飛び込んできたという境遇が似ていると感じていただいたのかもしれませんが、温かく迎えてくださいました。練習試合も組ませていただいてます。水谷先生のところには全国の学校が試合に訪れているのですが、いくつか紹介していただき、試合ができるようにもなりました」

■新チームのユニフォームに込める想い

感謝の気持ちは、言葉では表しきれないくらいだという。練習試合の相手も含めて、チームの作り方や気持ちの作り方、さまざまなことを学んでいる。

そんな成果もあって2012年夏には激戦の神奈川県でベスト16にまで導いた。その後、瀬谷に異動して4年目となった。津久井浜から横浜市の中核ともいえる場所にある瀬谷に異動して、いよいよ本格的に神奈川県の高校野球に立ち向かう意識にもなってきた。

ただ、学校としては自由な校風もあり生徒はおおらかで落ち着いているが、外に向けて出る闘争心には欠けていると感じた。

何とかチームの雰囲気を変えていきたいと、今年の新チームからユニフォームも新しいデザインに変更した。白地にやや間隔の広いタテジマで、胸には「SEYA」の文字。ストッキングは黒。大学野球が好きな人ならば見たことがあると感じるデザインだが、それは今季も東都大学野球リーグを制した亜細亜大のデザインに酷似している。



平野監督は色々な試合を見た中で、亜細亜大の野球は素晴らしいと感じ、そんなチームを目指したい気持ちが強くなった。どうしても亜細亜大に近いデザインのユニフォームにしたいと思った平野監督は、亜細亜大の生田勉監督をわざわざ訪ねていき、許諾を得た。

生田監督は柳ヶ浦高校の出身で、実は同じ大分県出身だ。関東で開催された大分県人会で名刺交換だけはしており、一応面識はあった。とはいえ甲子園はおろか、関東大会にすら出たこともない一公立校の野球部である。それでもユニフォームを新しくするにあたって、そこまでこだわっていったところに平野監督の熱さと本気度がある。

「胸文字の書体も、まったく一緒のモノにさせていただきました」と憧れの亜細亜大の野球に対してのこだわりを示す。

もちろん、チームとしてはまだまだ発展途上だ。そのことは、平野監督本人が一番よくわかっている。

「守りも、積極性がないですね。自信がないからそうなってしまうんでしょうが、球際も弱いですね。今年のテーマとして、球際に強くといつも言っているのですが、まだまだです。最初のスタートが悪いから、捕れるべき球も捕れないんです。まずは打球に対しての反応の一歩目、そのあたりから徹底していきたいですね」

夏までには、まだまだ課題は山積している。それでも今やれることは、一つひとつ気持ちを込めてこなしていく。そのひとつとして、四球の走者が一塁へ向かう時に、バットをポーンと放ったり投げ捨てたりするのではなく、丁寧に打席に置いていくように徹底している。

こういうところにも平野監督のチーム作り、野球に対する気持ちが垣間見られた。いつの日か、横浜隼人と甲子園を賭けて戦いたい――。そんな想いも強く持っている。
《手束仁》

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