【THE INSIDE】「いつか、女子高校野球も甲子園で」…そんな熱い思いから目が離せない! | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【THE INSIDE】「いつか、女子高校野球も甲子園で」…そんな熱い思いから目が離せない!

オピニオン コラム
神村学園女子野球部
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日本の女子アイスホッケーが平昌冬季オリンピックの代表第一号となった。かつては男子だけのスポーツという固定観念が強かったアイスホッケーのような競技でも、今の時代は女子種目としてしっかり存在しているということを改めて実感した。

それは、野球においても同じことが言えそうだ。

かつては、野球は男性のみのスポーツという認識が強かった時代があった。しかし、現在では女子野球の大会や試合が開催されており、女子プロ野球も2009年に創設されている。

高校野球の舞台では、男子とは別に女子の単独チームが全国でも20校以上になった。2016年に開催された第20回全国高校女子野球選手権大会には、連合チームを含めて24チームが参加している。その大会を制したのが神戸弘陵(兵庫)だったが、チームを率いる石原康司監督は、男子部で監督も務め甲子園出場を果たしたという実績もある。

石原監督は大阪体育大を卒業すると、創立して間もない神戸弘陵に赴任してコーチとして野球部の指導もすることとなった。市立神港(兵庫)で山口高志投手(関西大→阪急)を擁して甲子園出場を果たした高木太三郎監督の下で指導者としての勉強を積み、その後に自身も監督として甲子園出場を果たしている。

神戸弘陵・女子野球部 石原康司監督

男女両方での指導経験があるという監督は、高校野球の指導者は多いけれども、それほどいるわけではない。栄東(埼玉)で野球部を指導し、埼玉栄(埼玉)で創部間もない時期から女子野球を指導している齋藤賢明監督あたりだろうか。いずれにしても、その数はあまり多くはない。

石原監督としては、学校から声がかかるまでは女子の野球に関してはほとんど考えてもみなかったという。

「正直、女子がどれくらいのレベルなのだろうか…。ということで、1年間の準備期間をいただきました」とし、学校が共学化を進めていく中で自分自身も野球部監督から部長となり、校内の広報部長を兼務しながら野球ができる女子生徒を集めて奔走していた。初めて、女子の大会も観に足を運んだ。

「果たして、女子の野球として何ができるのだろうかということは、任された時から考えていました」と不安の方が大きかったという。しかし、大きな利点もあった。「男子の野球と違っていろんなことに対しての縛りがないんですよ。だから、すごくやりやすいというか、何でもOK、フリーなんです」ということに、喜びを見出した。

女子高校野球連盟では1校で12人以上の生徒が集まっていれば、単独でチームとして参加できるということになっている。まずは、そのための生徒集めだった。

「ただ、私としても、せっかく(女子高校野球を)やるんだったら、環境だけは整えてくださいということはお願いしました」ということで、それまでは軟式野球部が使っていたグラウンドを女子専用ということにしてもらった。それに、スタッフとして一人、女子のコーチを採用してもらうことも承諾された。

さらにラッキーだったのは、たまたま神戸の親和女子大が使用していた寮が空いたことで、それを借りられることとなった。こうして、神戸弘陵は共学化と共に女子高校野球に参入していった。そして、3年目に全国大会で優勝し、たちまち頂点に駆け上がったのだ。

その神戸弘陵と昨夏の大会で決勝を争ったのが、鹿児島県いちき串木野市にある神村学園だ。全国で最初に女子として正式に硬式野球部を立ち上げた学校である。

高校野球が中等学校野球時代から数えて100年という歴史を経過しているのに対して、全国大会が始まって20年と歴史はまだまだ浅い女子高校野球である。その先駆的存在が神村学園だったのだ。

「女子高校生も野球をやりたいという生徒が集まれば、最終的には甲子園で戦えるようにすればいい」という声も上がっていたことがあった。

その話にも乗った形となったのだが、元々女子校だったものが、1997(平成9)年から共学校となることが決まっていた。女子ソフトボール部は全国的にも強豪である。スポーツ強化の下地は十分にある学校だが、共学校となって、やがて甲子園出場こそ共学校の旨みと男子野球部を創部。

2年を経過した2005年春に甲子園出場。しかも、初出場ながら準優勝を果たして、一躍その名は全国に知れ渡った。

その少し前に、全国に先駆けた形で女子野球部を創部して話題となっていた。つまり、野球部としては女子の方が先にできていたのである。

1997年に「第1回全国女子高校野球選手権大会」が開催され、神村学園は第2回大会から出場している。当時、女子高校野球部を設置していたのは神村学園はじめ埼玉栄、花咲徳栄、駒沢学園女子、蒲田女子の5校だけだった。

創部2年目に新入生が13人入ってきたため、部として大会に出場。第3回大会で優勝する。

指導歴20年以上、神村学園・橋本徳二監督

現在もチームを率いる橋本徳二監督は、当時は天理大を卒業してすぐに神村学園に赴任してきたところだった。以降、20年以上女子高校野球と関わっていくことになる。その当時、エースだった小林千紘は女子投手としてはスピードもあり“女・松阪大輔”と言われて話題にもなった。

彼女はその後、明治大に進学して、東京六大学野球の公式戦で神宮球場のマウンドにも立ち、そのことでも話題になったことがある。

こうして、女子高校野球も少し話題を作ることになった。しかし、その後には、なかなかチーム数が伸びず、「やっぱり、女の子の野球部が全国各地にできるなんてことは無理だよ」なんていう声も上がってきていた。また、小林自身も大学以降野球を継続しなかったこともあって話題もすぼんでいってしまった。

そんな折に、福知山成美高校(京都)の母体である成美学園が「学園再生」を掲げて福知山成美に女子野球部を誕生させることを発表した。女子プロ野球の筆頭株主であるわかさ生活の社長が学園理事に就任していた。そうした中で、女子ソフトボールの強豪・大鵬薬品で活躍後、初代日本女子野球代表メンバーにもなった長野恵利子監督が初代監督として推挙された。福知山成美は全国で6校目、関西では初の女子高校野球部となった。

そして、これが引き金となったかのように、関西では京都外大西(京都)、京都両洋(京都)、大体大浪商(大阪)、履正社(大阪)などが相次いで創部し、北陸でも福井工大福井(福井)が創部、愛知県では日本で最初に女子大学野球部を創部していた中京女子大を前身とする至学館大の系列校・至学館(愛知)も創部した。

野球をやりたいという思いで中京女子大に進んだ深澤美和監督が就任。ちなみに中京女子大は大学創設100周年記念事業の一環として2006年に創部。それを知って入学したのである。

現在は子育て中ということもあって休養中。至学館の男子野球部でコーチを務めていた夫でもある鈴木雄大監督が就任している。

こうして、一気に女子野球部が各地に誕生していったことで、大会も全国大会らしくなっていった。

そして今年、夏の「全国高校女子硬式野球選手権大会」は21回目を迎える。また、加須市に定着した「全国高校女子選抜硬式野球大会」も18回目を迎えることになる。男子と比べてスポットライトを浴びる量はまだまだ少ないし、注目度も低い。しかし、その思いは男女に差はない。

「女子高校野球の決勝を甲子園で…」

そんなことが、夢ではなく現実となっていくように…… 関係者の思いは熱い。
《手束仁》

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