1対1における強さと攻撃力も、その体に搭載してほしい――。突然の、しかもシーズン途中のコンバートに込められた指揮官の熱き想いを、遠藤はこう受け止めていた。
「3バックの真ん中に関しては『いつでもできるだろう』ということで、自分がさらに成長するためにも、もっと球際の激しさがあるところでプレーしたほうがいいと」
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U‐23日本代表で挑んだAFC U-23選手権
■無名の中学時代
横浜F・マリノスのジュニアユースの門を叩くも、残念ながらテストに落ちた遠藤は横浜市立南戸塚中学のサッカー部に入る。神奈川県トレセンのコーチも務める、大野武監督の指導を受けるためだ。
中学時代の最高位はベスト8。ほぼ無名の存在だった遠藤は、大野監督のつてでベルマーレユースの練習に幾度となく参加する。迎えた中学3年の夏。いま現在に至るターニングポイントが訪れる。
ベルマーレユースから届いた入団のオファー。その体に宿る潜在能力を見抜いたのは、当時ユースを率いていた曹監督だった。遠藤をして「曹さんに拾ってもらった」と言わしめるゆえんでもある。
そして、3バックの右でも躍動する遠藤の姿を見ながら、曹監督もごく近い未来を思い描いていた。
「当時からボールと相手、そして味方を同時に見ながらパスを出せる選手だった。(遠藤)ワタルを右に回したときのフィーリングが僕のなかですごくよかったし、ワタル自身も相手選手の間をドリブルしてボールを運んでいくプレーなどを覚えていまに至っている。ボランチやあるいはサイドバックでも、同じようなプレーを求められていくと思う」
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U-23日本代表では中心選手としてチームを引っ張った(中央)
ハリルジャパンに初招集され、まず任されたポジションは右サイドバック。今夏のリオデジャネイロ五輪に臨むU‐23日本代表では不動のボランチ。恩師の慧眼がいま現在に生きている。
3バックの右でプレーすること約2年半。遠藤はこんな思いを胸中に抱き続けていた。
「3バックの右のほうがよりアグレッシブにボールを取りに行けるし、後ろに一枚いることを考えると、自分のところでボールを奪えたらカウンターにもつなげられる」
後ろの一枚とは、要は背後をカバーしてくれる3バックの真ん中の選手のこと。例えば昨シーズンは、オランダリーグで豊富な経験をもつブラジル人、アンドレ・バイアが常に遠藤をフォローしていた。
そのバイアと同じ役割を、遠藤は今シーズンのレッズで果たしている。3バックの左に入る槙野智章、右の森脇良太がより攻守両面で果敢にプレーできるのも、遠藤が与える安心感を抜きには語れない。
フロンターレ戦後の公式会見。かねてから「選手個々へのコメントはしない」をポリシーとしてきたレッズのミハイロ・ペドロヴィッチ監督は、2年越しのオファーを実らせて獲得した遠藤を称賛している。
「1対1の対応で非常に落ち着いている。彼の存在が槙野や森脇にもいい影響を与えている。ACLで広州恒大と戦ったときも、ジャクソン・マルチネスやリカルド・グラルといった世界トップレベルの選手と対峙しても落ち着いて対応し、1対1の場面で勝っていた」
そして、ブランクがあった3バックの真ん中でのプレーを、遠藤自身はポジティブに受け止めていた。
「浦和のサッカーならば、右よりもむしろ真ん中のほうがやりやすい、というイメージがあった」
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