東西の横綱に位置づけられる両雄が決勝の舞台で顔を合わせるのは、23回目にして初めてとなる。そして、運命に導かれたかのように、1992年生まれのふたりがチームをけん引する立場で火花を散らす。
■ガンバのジュニアユースが最初の舞台
アントラーズの最終ラインを束ねる昌子源と、ガンバの攻撃陣の中心に君臨する宇佐美貴史が初めてお互いを認識したのは2005年の春。関西エリアの優秀な子どもたちが集う、ガンバのジュニアユースが舞台だった。
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宇佐美貴史
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昌子源
ポジションはともにフォワード。地元のフレスカ神戸でプレーしていた小学生時代から、京都にとんでもない怪童がいると昌子は噂に聞いていた。
実際にそのプレーを目の当たりすると、長岡京SSからやってきた宇佐美が別次元にいるように映った。
「一生かなわんと思った」
多感な年ごろに味わわされた衝撃と挫折はやがて、サッカーに対する情熱を失わせる一因をなす。ひざのケガも相まって2年次で練習を休みがちになった昌子は、3年次になるとチームを退団してしまう。
宇佐美はそのとき、飛び級でガンバのユースへ昇格。高校生のなかで堂々とレギュラーを獲得していた。悶々とした時間をすごしていた昌子にあるとき、サッカーの指導者を務める父親の力さんが声をかける。
「米子北という高校があるんだけど、行ってみるか」
指導者のつながりで親交のあった、米子北高校の中村真吾コーチから昌子の進路を心配されていたこともあり、力さんはサッカー人生をリセットする意味も込めて息子に県外の高校をすすめた。
【ナビスコカップ決勝の大舞台でまじわる、宿命に導かれた直接対決 続く】