自転車ロードレースの山岳ステージというとアルプスやピレネーを走る「ツール・ド・フランス」のワンシーンを思い浮かべる人も多いだろう。しかしジロ・デ・イタリアの山岳ステージはこれとはちょっと雰囲気が違う。バカンス時期の7月に開催されるツール・ド・フランスは世界中からさまざまな国籍の観光客が押し寄せ、夏休みだから家族連れも多い。
それに対してジロ・デ・イタリアが行われる5月はまだ学校もあるし、長い休みも取りづらい。そのためジロ・デ・イタリアでは地元の自転車好きが集まる傾向が強い。
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かつてはその傾向がもっと顕著だった。ジロ・デ・イタリアはここ20年でかなり国際化されたが、それ以前といえばイタリアの国内イベントに過ぎなかった。つまりイタリア選手が過半数を占めていたのである。
こうなるとさまざまな地域で育ったイタリア選手が大会に参加する。いわば日本の甲子園のように、地元出身の選手を熱狂的に応援することになるし、身内でもいればさらに熱が入る。
ジロ・デ・イタリアの沿道には年季の入った自転車マニアな男性ばかりが集まっていた。「オンナコドモは家に置いてくる」のがジロ・デ・イタリア流だった。総合優勝を争っていたりしたら、レース通のオヤジがライバル選手に罵声を浴びせるなんて当たり前だった。
一方のツール・ド・フランスはいまもそれほど変わらない。国際イベントだけに選手も観客も世界中から集まってくる。世界各国から選び抜かれたスター選手がお目当てだ。季節は優雅な夏休みで、リラックスした気分で前日から沿道に陣取り、家族全員でアウトドアを楽しむ。だからツール・ド・フランスはお祭り。スター選手にわけへだてなく「頑張れ」と声援するのが普通の光景だ。
■地元の自転車好きは熱狂する
ボクがかつて取材したジロ・デ・イタリアでなんともそれらしい光景を目撃した。フィアットの小さなクルマに年配の男性ばかりが肩を寄せ合うように乗り合わせて山岳の観戦ポイントに向かっていたのだ。ゴキゲンな場所を見つけると荷室いっぱいに詰め込んだ食材を取り出して宴会を始めた。
おそらくは商店街で切り盛りしているオヤジたちで、酒屋もいれば肉屋やチーズ屋もいる。それぞれが持ち寄ったものを肴に腹ごしらえ。それでもレース展開を伝えるラジオの音声に耳は釘付け。彼らはひいき選手を応援するためにわざわざ沿道にやって来たのである。スマホのネット情報なんてなかった1993年の思い出だ。
ツール・ド・フランスのアルプスとピレネーも壮大な景観に目を見張るものがあるが、ジロ・デ・イタリアの勝負どころであるドロミテ山塊はそれを上回る。針のように屹立した大岩壁。そして初夏にもほど遠い季節だけに残雪がいたるところに目撃される。天候が崩れれば降雪することもひんぱんにある。
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1988年に米国選手として初優勝したアンディ・ハンプステンは女性のようにきゃしゃなボディをした伏兵だったが、雪に見舞われたガビア峠で逃げて総合1位に躍り出た。
1989年に優勝したフランスのローラン・フィニョンは天気予報をみて翌日の難関区間が雪で中止になることを見込んで、その前日に勝負を仕掛けてマリアローザを獲得した。翌日は予想通りに荒天で中止になり、ものの見事に総合優勝を決めたのである。
まさにイタリア北部の修羅場。標高2500m超の山岳で繰り広げられる死闘。選手も観客もときに命がけだ。