1987年にボクが自転車専門誌サイクルスポーツの編集部員となったとき、まさに上記のようなありさまだった。ツール・ド・フランスのような大きな大会だけはフリーカメラマンが現地入りしていたので、国際電話をかけてきてくれれば総合優勝者の名前くらいは確認できた。でもそれ以外のレースは海外専門誌の入荷を待たなければ、だれがどんなレースで勝ったのか日本でだれも把握できなかった。
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銀座四丁目の交差点近くに洋書を取り扱うイエナ書店が当時はあって、そこに毎月ベロマガジンが入荷してきた。それを買いに行くのが、海外レース担当だったボクの仕事だった。ベロマガジンはツール・ド・フランス主催社が発行している自転車専門誌だ。ときには東銀座のマガジンハウスに立ち寄って、当時は一般の人が閲覧できる「世界の雑誌コーナー」なるものが1階ロビーにあったので、フランス雑誌の「ル・シクル」をチェックして、参考になるページはコピーした。
デジタル画像をメール送信するなんて考えもつかない時代だ。当時の撮影はフィルムを使ったので、月刊誌に関しては帰国後に現像して掲載する写真をセレクトする。原稿は現地情報を聞き取って、ベロマガジンなどの掲載記事と照らし合わせながらまとめた。7月最終週に終わるツール・ド・フランスの記事は、8月20日発売号に掲載された。日本にいる自転車ファンもその雑誌を目にして初めてツール・ド・フランスの総合優勝者を知ったことと思う。
報道は徐々にスピードを要求されていく。1カ月遅れで到着する海外誌を待っていたのでは情報入手が遅すぎると、6日遅れで到着する新聞紙を購入するやり方に変更。イエナ書店に頼んでスポーツ新聞のレキップを取り寄せてもらい、毎日書店に取りにいった。費用はおそらく月に10万円ほどだったと思う。しばらくすると、イエナが閉店してしまったのでレキップに直接定期購読を依頼して航空便で送ってもらうことに。
インターネットもeメールもケータイもない時代はこんな感じだった。メカニックを派遣し始めたシマノやサンツアー、ごく一部の輸入商社を除けば、自転車レースの現場を知る日本人なんて、新聞紙を取り寄せて情報収集していたアマンダスポーツの千葉洋三氏などひとにぎり。それだけに手に入れた海外雑誌は1行も落とさず翻訳し、現地から帰った人の話に目を輝かせながら聞き入った。たとえば、北の地獄と呼ばれる石畳の悪路を走ることで知られるパリ~ルーベを取材した日は、ホテルのベッドに入っても路面の振動が伝わってくるかのような錯覚に陥ったとか。
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かつて取り寄せた膨大なバックナンバーは編集部に置きっ放しなのでおそらく処分されてしまったはずだが、手元にベロマガジンの1993年12月・1994年1月合併号が残っている(この当時は1号休刊していた!)。同誌編集長がボクあてに贈本してくれた号だ。ベロドールという最優秀選手が決まる年末特別号で、表紙は最優秀賞に輝いたスペインのミゲール・インデュラインが掲載されていた。
記事を見ると各国ジャーナリストの投票結果が表になっていて、日本人としてボクがこれを務めた。最も配点が多い1位にはイタリアのマウリツィオ・フォンドリエストを、配点が少ない5位に遠慮がちに日本選手の名前を入れさせてもらった。選手も記者も手探りの時代だった。