【山口和幸の茶輪記】昭和期のツール・ド・フランスを知らない人へ。グレッグ・レモンは単なるオッサンじゃない! | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【山口和幸の茶輪記】昭和期のツール・ド・フランスを知らない人へ。グレッグ・レモンは単なるオッサンじゃない!

スポーツ まとめ
1990年のツール・ド・フランスで3度目の総合優勝を達成するグレッグ・レモン
  • 1990年のツール・ド・フランスで3度目の総合優勝を達成するグレッグ・レモン
  • 1990年のツール・ド・フランスで3度目の総合優勝を達成するグレッグ・レモン
  • 1989ツール・ド・フランス、パリ・シャンゼリゼの表彰台。中央がレモン、左が2位フィニョン、右が3位デルガド
  • 現在のグレッグ・レモン。オークリーを最初に愛用したスポーツ選手でもある
  • グレッグ・レモン(1990年)
  • グレッグ・レモン
ツール・ド・三陸でグレッグ・レモンという白髪で太めのアメリカ人を目撃した人がいるはずだ。日本に親友がいることからかつてはツール・ド・草津やツアー・オブ・ジャパンの会場でも見かけた。見た目は53歳のオッサンだが、ボクにとっては姿勢を正してしまうほどのスーパースターだ。

ツール・ド・フランスの初取材となった1989年は、永く語り継がれるほどの名勝負が展開した。いきなりそんなシーンを目撃できたのも、この大会の取材がライフスタイルとなるボクにとっては運命だったかも知れない。

初日は顔見世興行として、距離の短いタイムトライアルが行われる。最初のマイヨジョーヌをだれが獲得するのかが興味どころで、総合成績にはそれほど影響しない。ところがこの年、ハプニングが起こった。前年の覇者としてマイヨジョーヌを着用して登場する最終走者が、出走時間になってもこなかったのだ。

前年の覇者はスペインのペドロ・デルガド。セビリア出身のイケメン選手だ。信じられないことにスタート時間に遅刻したのだ。あわてて出走台に飛び上がって走ったものの、時計はすでにカウントされているので記録は最下位だった。

この年はデルガド以外にも千両役者がそろっていた。86年に米国選手としてツール・ド・フランスを初制覇したのがグレッグ・レモン。優勝した年のオフ、余暇の狩猟中に仲間の散弾銃が暴発して胸に50発もの弾丸を受け、生死の境をさまよった末の復帰だった。そして大学卒のインテリ・パリジャンとして5年ぶり3度目の総合優勝をねらうローラン・フィニョンもいた。

デルガドは得意の山岳で挽回したが、結局初日の遅刻が響いて総合3位に。優勝争いはレモンとフィニョンによるシーソーゲームとなった。

最終日はベルサイユからパリ・シャンゼリゼまでの個人タイムトライアル。フィニョンは50秒の貯金をもって最終走者として出発したが、その前を走るレモンが驚異的なスピードで飛ばした。レモンはこの日フィニョンに対して58秒を稼ぎ出し、わずか8秒差で大逆転劇を演じたのだ。このときの平均最高速記録は現在も破られていない。

現在、デルガドはスペインテレビ局の解説者として、ますます渋さを増した。レモンはたびたび日本を訪ねていて、ボクも何度か会った。そしてフィニョン。壮絶な癌闘病を続け、生放送中に倒れるなどしても頑張ったが、2010年に天界に旅立った。

このあたりの歴史は拙著「講談社現代新書ツール・ド・フランス」に書いているので、機会があったら手に取ってみてね。
《山口和幸》
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