トップイーストリーグは、位置づけ的にはトップリーグの2部に相当する。古くは東日本社会人リーグと呼ばれていた。ここで2位以内に入れば、トップチャレンジと呼ばれるステージに進むことができ、トップリーグ昇格への道が開ける。
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2年連続トップチャレンジ1進出を目指す釜石。岩手での今シーズン最終戦に1400人近い観客が駆けつけた。朝から冷たい雨が降るあいにくの空模様、じっとしていると指先が冷たくなってくる天候にも関わらず、メインスタンドはほぼ満席状態。
風上を取った釜石は前半の立ち上がりから攻める。ラインアウトからの展開で最後は千布亮輔がゴール中央に飛び込みトライ。早くも前半2分で最初の得点を奪う。ゴールも決まり7-0とした。
■攻め続けた前半、我慢強さを見せた後半
勢いに乗る釜石は前半12分、自陣で東京ガスのパスをインターセプトした沼田邦光が、そのまま約80メートル独走してトライ。これには試合後、東京ガスのファンから「インターセプトの印象が強すぎた。あれで持って行かれた流れを前半のうちに変えられたらね」など、勝敗を分けるプレーだったという声が聞かれた。
その後は東京ガスに自陣深くまで攻め込まれる場面もあったが、釜石は粘り強いディフェンスでトライを許さなかった。
双方ペナルティゴールを決め15-3で迎えた前半36分、再び沼田がトライを決める。ゴールは外れたが20-3とし、大きくリードして前半を折り返した。この展開にスタンドも盛り上がる。ハーフタイム中の観客席は明るい雰囲気だった。
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後半も最初の得点は釜石。開始3分で井上益基也がペナルティーゴールを決め、差を23-3まで広げた。だが後半から風上に立った東京ガスも反撃を見せる。一進一退の攻防が続き選手たちは激しくやり合った。球技専用スタジアムの盛岡南球技場は、グラウンドとスタンドの距離が近く、目の前でタックルが入ると「バチンッ」という人間のぶつかる音が客席まで届いた。
釜石は後半24分、反則で選手が10分間の退場を命じられる。ひとり少なくなった状態で直後の後半25分、東京ガスの辰野新之介にトライを決められた。さらにゴールも入り23-10となる。
なおも釜石には難しい時間帯が続く。選手が少ない状態で残り時間、もし1トライ1ゴール決められると点差は6点。ラグビーでは敗れても7点差以内に収めれば勝ち点1が得られる。トップチャレンジ進出を争う相手に少しの勝ち点も与えたくない。
攻勢を強める東京ガスに対し、釜石は自陣深く攻め入られながらもトライは決めさせない。時おり釜石も攻めに転じる。だが雨の影響かミスが出て、こちらもトライを奪うまでには至らない。試合はスコアが動かないままノーサイドを迎えた。釜石は持ち味である粘り強いディフェンスで東京ガスを封じた。
■これまでの4年間、これからの4年間
釜石シーウェイブスの前身は、ラグビー界に一時代を築いた新日鉄釜石ラグビー部。1978年から1984年まで日本選手権を7連覇し、その強さは「北の鉄人」と呼ばれた。しかし、1992年を最後に全国社会人大会への出場が途切れ、2001年には親会社の経営状況もありラグビー部は一旦その歴史に幕を下ろす。だが同年、地域密着型のクラブとして生まれ変わり、名前を釜石シーウェイブスRFCとした。
2010年には発足10周年を迎え、クラブは今後さらなる飛躍とトップリーグ昇格を目指すはずだった。だが2011年3月に発生した東日本大震災により、釜石は甚大な被害を被る。クラブは活動を一時休止してボランティア活動に参加した。
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復興庁が11月に発表した『復興の現状と取組』によれば、現在でも岩手・宮城・福島の3県で6万8000人以上が仮設住宅暮らし。釜石でも約4000人が仮設住宅に住んでいる。
釜石は復興の起爆剤にと2019年ラグビーワールドカップ(W杯)日本大会の開催都市に立候補、12の開催都市のひとつに選ばれた。この大会を成功させようと地元ファンは意気込む。その一方で「W杯をやってる場合なのか」と疑問視する声もある。背景には新日鉄釜石の栄光から遠く離れ、釜石でも最盛期ほどラグビー人気が高くないこと、この4年間で期待されたほど復興が進んでないことなどがある。
街の4年後も分からないのに、W杯と言われても…というのは仕方ないことだ。地元のコンセンサスを得るためには、これから4年かけて再び釜石のラグビー熱を高めていく必要がある。
昨年はじめてトップチャレンジ1へ進出した釜石シーウェイブス。2年連続進出、そしてトップリーグ昇格を果たし、鉄とラグビーの街に復興の灯りをともせるか。ラグビーボールに願いを込めて、釜石シーウェイブスの挑戦は続く。