「自分が歩んでいく道なので、ゆっくりと決めたい気持ちがあります。どこにいけば成長できるのか。試合に出場してこそ成長できると思うので、これから先を考えた上で自分に合ったチームをしっかりと見すえていきたいと思います」
毎回ほぼ変わらないコメントでも、本人がしっかりと口にするのとしないのとでは、与える印象がまったく違ってくる。武藤嘉の真摯な姿勢は、映像や新聞紙上の文字を通して十分に伝わってきた。
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■ターニングポイント
もっとも、舞台裏では状況は異なっていた。
ロッカールームをはじめとする、チーム関係者しか立ち入れないエリア。武藤嘉は憔悴しきった表情を浮かべながら、幾度となくこんな言葉を漏らしていたという。
「もういいよ…」
サッカー人生で迎えた最大のターニングポイント。自問自答が繰り返されたなかで精神的にも疲弊していたはずだし、だからといってFC東京のエースとして臨む公式戦では結果を残さなければいけない。
心身両面ですり減っていた武藤嘉を温かく見守り、ときには相談にも乗ってきたFC東京の立石敬之ジェネラルマネージャーは、その後の武藤嘉の言動を「素晴らしいと思った」とこう続ける。
「見ている僕たちも『もういいんじゃないか』と考えていたぐらいですから、本人はもっと思っていたはずなんですよね。実際にそんなことを口にしてもいましたけど、それでもメディアに対応してサラリと、それでいて嫌味なくかわす力がある。顔に出してしまう選手が少なくないなかで、本当に上手に対応していましたよね。ズルさと言ったら本人が可哀そうだけど、大人の扱いがうまいんですよね」
もちろん、武藤嘉本人は意識していないはずだ。23歳の若武者がもつ誠実で謙虚な心が無意識のうちに体を動かし、いわゆる"神対応"を生み出してきたといっていい。
実際、在籍わずか1年半で旅立っていった武藤嘉に対して、「何で移籍させるんだ」とFC東京へ抗議してきたファンやサポーターはほぼ皆無だった。
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■「海外組」として日本代表へ
誰からも愛され、背中を後押しされて挑んだマインツでは、デビューから3試合目にして初ゴールを含む2発をゲット。新たな伝説をスタートさせて、満を持して「海外組」として日本代表に合流した。
同じような軌跡を描いた選手として、立石ジェネラルマネージャーは長友佑都をダブらせるという。
長友もまた明治大学に籍を置いたままFC東京でプロデビューを果たし、瞬く間にオリンピック代表、日本代表とステップアップ。2010年のワールドカップ南アフリカ大会後にセリエAのチェゼーナへ移籍し、そのわずか半年後には名門インテルの一員となった。
「人に可愛がってもらえて、それを力にしていく才能があるという点で(長友)佑都に似ているところがちょっとあるかなと。人の話をしっかりと聞いて、それを吸収していく姿勢が可愛いから、指導者との付き合い方がすごくうまい。もちろん『成長しないといけない』という思いを常に強くもっているから、その時々で自分自身の足りない部分や課題が整理されている。『もっている』とよく言われるけれども、運を手繰り寄せる力を含めて、武藤がしっかりと準備してきたからこそなんです」
【武藤嘉紀を新天地マインツでも成長させる力 続く】