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【THE REAL】世界レベルの「怪物」へ…苦労人・米本拓司が立ったロシアへのスタートライン

オピニオン コラム
米本拓司 参考画像(2012年7月18日)
  • 米本拓司 参考画像(2012年7月18日)
  • 米本拓司 参考画像(2012年7月18日)
  • 米本拓司 参考画像(2012年3月26日)
  • 米本拓司 参考画像(2012年3月26日)
  • 米本拓司 参考画像(2012年3月26日)
■猟犬を彷彿とさせるボールハント力

177cm、70kgと平均サイズのボランチが脚光を浴びたのは2009年シーズン。兵庫・伊丹高校からFC東京に加入したばかりの18歳の少年は、猟犬を彷彿とさせるボールハント力をピッチの上でいかんなく発揮した。

FC東京が頂点に立ったナビスコカップでは、若手を対象としたニューヒーロー賞と決勝戦のMVPをダブル受賞。まばゆい輝きは、日本代表を率いていた岡田武史監督をも魅了する。

若手主体のチーム編成で臨んだ2010年1月のイエメン代表とのアジアカップ予選で、米本はボランチとして先発フル出場。3対2の逆転勝利に貢献した。

しかし、好事魔多し。2年目の開幕を目前に控えた練習で、米本の左ヒザが悲鳴をあげる。前十字じん帯と外側半月板の損傷。全治6カ月の重傷で、シーズンの大半を棒に振った。

悪夢はこれだけでは終わらない。2011年4月24日、米本にとってシーズンの初陣となったジェフ千葉戦の前半終了間際だった。ジャンプから着地した瞬間に、左ヒザを再び激痛が襲った。


米本拓司(2011年)

前十字じん帯を再び損傷した米本は、約1カ月後に再建するための手術を受ける。前回よりもさらに長い全治8カ月。心が折れかける寸前だったことを、米本自身から聞いたことがある。

「2回目にやったときは『サッカーをやめようか』というくらい落ち込んだこともあったけど……やっぱりサッカーがやりたいという気持ちが一番でした」

再び過酷なリハビリと向き合っていた2011年12月2日。米本を常に励まし続けてくれた父親の和幸さんが他界した。米本が21歳になる前日に届いた悲報が、ショックに追い打ちをかけた。

翌2012年3月17日。ホームの名古屋グランパスを迎えたJ1第2節の後半終了間際に、米本はサポーターから万雷の拍手を浴びながら、約11カ月ぶりにピッチへ入った。

5分間のアディショナルタイムを含めて、相手のボールホルダーを追い回して復活の狼煙をあげる。試合後に場内を一周し、サポーターに勝利を報告しながら、米本は突然目頭を押さえはじめた。

ひとりでは立っていられないほど号泣した理由を、米本はこう明かしている。

「ピッチに出るときも父のことを思い出していました。父がずっと僕のことを支えてくれた。2回目にじん帯をやった時、一番僕のそばにいて励ましてくれたのが父でした。できれば父が生きている時に復帰したかったけど……多分、上(天国)で見てくれていると思うので。もちろん、これが最後じゃない。もっと、もっと上から僕のことを見てほしい」

【苦労人・米本拓司が立ったロシアへのスタートライン 続く】
《藤江直人》
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