【THE REAL】衰え知らずの32歳…大久保嘉人がゴールを量産し、日の丸を手繰り寄せる理由 | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【THE REAL】衰え知らずの32歳…大久保嘉人がゴールを量産し、日の丸を手繰り寄せる理由

オピニオン コラム
大久保嘉人 参考画像(2014年6月24日) (c) Getty Images
  • 大久保嘉人 参考画像(2014年6月24日) (c) Getty Images
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不思議な縁を感じずにはいられない。運命に導かれている、と言ってもいいかもしれない。

バヒド・ハリルホジッチ監督の強い希望を受けて、国内組だけを集めて千葉県内で行われる日本代表候補合宿。その初日となる5月12日は、昨夏のワールドカップ・ブラジル大会以来の復帰を果たしたFW大久保嘉人(川崎フロンターレ)にとって「特別な日」となる。

2013年5月12日。長く病魔と闘ってきた父親の克博さんが、61歳の若さで他界した。最期を看取ったのは、危篤の一報を受けて、自らがゴールを決めた試合を終えてから駆けつけてきた大久保だった。福岡県内の病院で交わされた、克博さんとの奇跡的なやり取りを大久保本人から聞いたことがある。

「最期だけは絶対に会いたかった。日付が変わる直前に病室に入って、おとんに『帰ってきたぞ』と言ったんですよ。いつ死んでもおかしくなかったのに、おとんは『おお、嘉人、来たか』と返してくれた。それが最後の言葉になりましたけど、祈りが通じました。医者もびっくりしていましたからね」

間もなくして遺言状が見つかる。服用する薬が書かれた紙の裏側に震える筆跡で必死にしたためられた、愛する家族への数々の言葉。大久保へは克博さんが生前から繰り返していた檄が残されていた。

「日本代表にもう一回選ばれろ」

アルベルト・ザッケローニ元監督の構想にほとんど入っていなかった大久保が、ワールドカップ代表メンバーにサプライズ選出されたのは父の命日だった2014年5月12日。大会後は再び空白期間が生じていたが、候補とはいえ、三回忌の日に再び代表の一員としてピッチに戻ることになった。

《藤江直人》

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