完全移籍が発表されたのは12月23日。遠藤はU‐23日本代表合宿で石垣島に滞在中だった。入団発表も遠藤だけが2月7日にずれ込んだ経緯が、思い悩んできた跡をうかがわせる。
神奈川・南戸塚中学時代はまったくの無名だった遠藤は2007年秋、当時ベルマーレユースを率いていた曹貴裁監督に見そめられた。運命的な出会いから8年あまり。クラブに注ぐ愛着の深さは、レッズ移籍にあたってベルマーレの公式ホームページにつづったこの言葉が象徴している。
「寂しくなりますね。僕は初めての移籍だから、余計にそう感じる。でも、毎年毎年いろいろな選手が泣きながらチームを離れ、別れていったりしている。ここはそういう世界なんだなと感じます」
ハリルジャパンにも選出され、チームでは中田英寿以来、実に17年ぶりとなる日本代表での公式戦出場も果たした。ベルマーレの象徴となった遠藤に対して、ファンやサポーターからも熱い残留コールが届けられた。
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それでも、まさに後ろ髪を引かれるような思いで移籍を決断した。レッズがJ1の優勝争いやアジアの頂点を目指すACLを経験できるクラブであることが、自身の成長につながると判断しただけではない。
遠藤自身は、ごく近い将来のヨーロッパ移籍をサッカー人生の青写真のなかに描いている。
「そのときはボランチやセンターバックとして、攻撃参加を含めて何でもできるプレーヤーになっていたいと思っている。ポジションによって引き出しが異なるというか、いろいろな特徴を出していきたい。そのほうが楽しいし、何よりもいま現在のサッカーはさまざまなプレーを求められるので」
ベルマーレではまず3バックの中央で、ラインコントロールとカバーリング能力を身につけた。そのうえで2013年シーズンの夏場から3バックの右へ移り、1対1における強さと攻撃参加に磨きをかけた。
チーム事情や試合状況からボランチやアンカー、ときにはシャドーとしてもプレーしてきた遠藤だが、曹監督は「(遠藤)航がもっとも生きるのは後ろ(最終ライン)」と一貫していた。
このオフには、不動のボランチだったキャプテンの永木亮太も鹿島アントラーズへ移籍した。もし遠藤が残留していたとしても、愛弟子の特徴を知り尽くす指揮官はボランチではなく、最終ラインで起用する方針を変えなかったという。
翻ってレッズのミハイロ・ペドロヴィッチ監督は、遠藤の主戦場をボランチにすると、自ら出馬した交渉の席で伝えた。思い返せば、指揮官は2014年オフの交渉でも同じ言葉を口にしている。
■すべての平均値を上げていきたい
U‐23日本代表の手倉森誠監督も、そしてA代表のバヒド・ハリルホジッチ監督も「ボランチ・遠藤」を優先させている。そうした状況で、誰よりも遠藤自身がボランチでのプレーに物足りなさを覚えていた。
「最後はそういう点も大きかったと思う。永木だけでなく航も、一番高い金額を提示してきたクラブに対しては、最初に断りを入れているので」
ベルマーレの眞壁潔代表取締役会長は、遠藤の胸中をこう慮った。リオデジャネイロ五輪期間中もJ1は中断されない。前哨戦となる5月のトゥーロン国際大会でも然り。レッズを離れる時間が多くなれば、レギュラー獲りや試合勘を磨くといった点でリスクが生じかねない。
それらをすべて勘案したうえで、プレーヤーとしてのスケールをさらに大きくするために、ボランチの潜在能力をさらに開花させる可能性を追い求めた。実際、遠藤自身から貪欲な夢を聞いたことがある。
「自分としては、ここが飛び抜けているという選手にはなりたくない。すべての平均値を上げていきたいんです」
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脳裏に思い描かれる姿は、ボランチを含めたすべての守備的なポジションを、どんな状況でもハイクオリティーで務められるオールラウンダー。先駆者的な存在である阿部勇樹がキャプテンを務めるレッズは、お手本が身近にいる意味でも理想と言えるのかもしれない。
その阿部とボランチで共演したレッズでのデビュー戦。ベルマーレのユースに入団し、プロになる夢を膨らませた高校時代から阿部のプレーを見つめてきた遠藤は、試合後にこんな言葉を残している。
「出場時間が短かったので、もっと出たいという意欲が増した。次はスタメンを狙いたい」
休む間もなく、今週末にはJ1のファーストステージが開幕。レッズは敵地で柏レイソルと対戦し、3月20日の第4節では遠藤が慣れ親しんだ平塚の地でベルマーレと対峙する。
「ここからが本当の勝負。リオでメダルを獲り、日本サッカー界の歴史を変えるためには、まだまだ個人としてのレベルアップが必要になる。所属クラブで個の成長を意識していくことが、チームとしての成長につながると思っているので」
短期的な目標をリオデジャネイロ五輪での大暴れとレッズでのタイトル獲得に、中期的なそれをボランチとしての成長に、そして長期的なそれを海外挑戦に定めながら、遠藤の新たな挑戦が本格的に幕を開ける。