休職した末につかんだ「プロになる」という夢…サムライフットボーラー | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

休職した末につかんだ「プロになる」という夢…サムライフットボーラー

本気でプロスポーツ選手を目指していた人は、現役を引退してからはどのようなキャリアを歩んでいるのだろうか――。

オピニオン ボイス
菊池康平(きくちこうへい)さん
  • 菊池康平(きくちこうへい)さん
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本気でプロスポーツ選手を目指していた人は、現役を引退してからはどのようなキャリアを歩んでいるのだろうか――。

この疑問からスタートしたセカンドキャリア論の第1弾。異色の経歴を持つ菊池康平(きくち こうへい)さんを紹介する。

その1:世界で戦うサムライフットボーラー、プロを目指したその先に「宝物」

■発想の転換が挑戦を生む

---:シンガポールのプロサッカーリーグに挑戦しようと思ったきっかけは何ですか?

菊池康平さん(以下、敬称略):高校3年生のときに、地元でシンガポールリーグのセレクションをやっていたことを思い出したからです。当時セレクションを受けたのですが、元Jリーガーたちも受けてくるような状況で、案の定落ちました。とにかくシンガポールにもプロサッカーリーグがあることを思い出したので、事務局に電話してみました。

するとサッカー留学を斡旋していて、お金を払えばシンガポールリーグに参加できるという返事が返ってきました。掛け持ちでアルバイトをして、プログラムに参加することにしたのです。結果的には契約はできなかったのですが「大学サッカーよりはレベルが低い」ということを感じました。

さらに、シンガポール、セルビア、クロアチア、アフリカから来た国籍の選手たちとサッカーをしているうちに、「インドや香港、タイ、マレーシアにもリーグがある」ということを知りました。「海外でプロになる」ということを強く意識したのはこの時ですね。また、サッカー留学系の業者の質はあまり高くなかったので、これより後は利用しませんでした。


菊池康平さん

■コネなし、金なし、何もなし

菊池:次からはコネも何もないところから現地に行き、歩いている人に「この辺でサッカーチームはある?」と聞いたり、ストリートサッカーに混じって情報を得て、チームにつなげてもらう方法をとり続けました。

色々な国に行きました。アルバイトで貯金ができては、シンガポール、香港、タイ、マレーシア、オーストラリアなどの国に挑戦しました。お金はもらえなかったのですが、オーストラリアでは21歳以下の枠があったのでセミプロ契約を結んで、6カ月間プレーをしました。8試合で3得点。「トップで給料を払えるほどではない」とは言われましたが、なんとかプレーできていました。

---:休学をしたのですか?

菊池:その頃は大学3年生。契約できると思わずに飛び入りで行ったので、休学手続きのために戻る暇もなく、在籍しながらでした。教授に状況を伝えて「遊んでいるわけではない」とアピールしました。

2月で最終シーズンが終わり、テスト前日に帰ってくることができました。しかし「ニーチェについて4000文字で書け」といったテストはまったくわからない。「そもそも誰?」みたいな感じです。

だから、テスト用紙が真っ黒になるまで、やってきたことを書いたんですね。「色々な国に飛び入りで行って、こんな工夫をしてチームに入り、サッカーをしていた」と。そしたら「可」はくれました(笑)。

■内定式前日まで海外でサッカーをする

菊池:3年生になったものの、就活をやるつもりはなかった。でも、親は「サッカーに逃げているのではないのか」と言ってくる。確かに社会のことを何も知らないのはどうかとも思ったので、80社ぐらい一気に受けたんです。知っている大きな会社を片っ端から受けました。

その内のひとつがパソナで、内定をいただくことができました。サッカーがうまくいけば入社をやめて海外に行く予定でしたが、先輩の話や個性豊かな同期の様子を見て「ここで働いてもいいかも」と思うようになりました。

ただ、やはりサッカーが目標だったので、内定式の前日までタイでサッカーをしていました。契約寸前までいったんです。「サインしてくれないなら帰る」と迫ったのですが、「いますぐサインはできない。2カ月後にリーグは開幕する。開幕したらお金も払う」と。タイですし、口約束では信用できなかったので「じゃあ帰る」と伝えました。金髪にしていたので、急いで染めて(笑)。

卒論の時期、最後の挑戦として、原点に帰ってシンガポールにもう一度行ったんです。惜しかったんです。「この試合でいいプレーができたら契約してやる」とまでは言われたのですが、何の因果か相手が日本人中心に構成された「アルビレックス新潟シンガポール」というチームでした。

さらに、学生時代のサッカー部の1コ先輩が出場していた。すごく緊張して、全然いいプレーをすることができず、途中で「帰れ」とまで言われました。これもなにかの運命だったんでしょうね。海外でプロ契約を目指した日本人は、同じ日本人のチームに引導を渡されたんです。最後の挑戦に破れ、社会人生活がスタートしました。

【次ページ 休職して再び海外へ】
《大日方航》
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