拳を握りしめた右腕を大空に向かって力強く突き上げ、満面の笑みをたたえながら振り返ったジュビロ磐田の司令塔・中村俊輔の視界に、慣れ親しんできたものとはまったく異なる光景が飛び込んできた。
左腕にキャプテンマークを巻いた、短めの髪のDF大井健太郎が駆け寄ってくる。その後方に広がるゴール裏のスタンドも総立ちになっている。仲間の祝福とサポーターの歓喜は、いままでと何ら変わらない。
ただ、ユニフォームの色が違う。トリコロールカラーからサックスブルーへ。さらに加えれば、昨シーズンまでなら同じ1978年生まれの盟友、DF中澤佑二が独特の長髪をなびかせながら抱き着いてきた。
ジュビロのチームカラーに染まった、敵地・NACK5スタジアム大宮のゴール裏へ向けてガッツポーズを繰り返しながら、日本サッカー界が生んだ稀代のレフティーはあらためて実感した。
「(大井)健太郎がサポーター席のほうに見えて『ああ、いい景色だな』と思った。『ああ、新しいチームに来たんだな』と、また違うかたちで実感することができた」
9年7ヶ月におよんだヨーロッパでのプレー期間を除いて、Jリーグの舞台では1997シーズンに桐光学園高校(神奈川県)から加入した横浜F・マリノスひと筋でプレーしてきた。
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横浜F・マリノス時代
(c) Getty Images
愛着が深かったのは言うまでもない。マリノスで現役を終えたい、とも考えていた。しかし、1月8日にジュビロへの移籍が正式に発表される。始動した同14日から、身も心も新天地ジュビロに染めてきた。
迎えた3月11日。大宮アルディージャのホームに乗り込んだ第3節で、待望の移籍後初ゴールをあげる。それも「伝家の宝刀」として、数々の名場面を生んできた直接フリーキックを叩き込んだ。
興奮と感激のあまり、古巣でゴールを決めたときの記憶の光景を一瞬だけ蘇らせてしまったのか。すぐに現実の世界に戻った背番号「10」は、新しい仲間たちが作る歓喜の渦の中心に飲み込まれていった。
■相手GKとの間で繰り広げられた駆け引き
開始わずか5分。MFムサエフのパスを受けたFW川又堅碁が、アルディージャのDF菊地光将のプレッシャーを背後に受けながらも耐え続け、駆け上がってきたムサエフにパスを通す。
ペナルティーエリアがすぐ目の前に迫っている。危険を察知した菊地は川又のマークを離れて、ムサエフを止めにいくもファウルを犯してしまう。ジュビロのファンやサポーターが一気に沸き返った。
ゴール正面からやや左。距離にして約17メートル。セレッソ大阪との開幕戦、ベガルタ仙台との第2節と無得点が続き、勝利にも見放されていたジュビロに、待望の初ゴールが生まれるかもしれない。
期待を一身に託された俊輔はしかし、キックオフを告げる笛が鳴り響いてからボールをほとんど触っていなかった。左足の魔術師と呼ばれる男も、胸中に一抹の不安を感じていた。
「試合の早い段階と終わりのほうだったら、早いときのほうが難しいから」
しかも、距離が短すぎた。アルディージャが作る壁を越えてゴールするには、スピードをやや抑え、なおかつ鋭く曲がる軌道を描かせなければいけない。近くにMF太田吉彰を呼んで、そっと呟いた。
「先にボールをまたいでみてもらえる?」
太田に蹴る振りをしてもらって、アルディージャのGK加藤順大の反応を見た。
「そうしたら、動いた感じがすごく速かった。試合が始まったばかりだし、いい意味で力も入っている。だから、こっちかなって」
スピードを落とさざるを得ない、向かって左側のニアよりも右側のファーに照準を変えた。壁をぎりぎりで超える低空の弾道に、左足のインフロントに引っかける形で強振して渾身のスピードを与えた。
「あとはニアに蹴る振りをして、瞬間にキュッと腰を(右に)捻って」
アルディージャが作った壁は6枚。向かって一番右にいたMF大山啓輔が慌てて伸ばした頭の先をかすめた強烈な弾道が、アルディージャゴールの右サイドネットに突き刺さった。
■永遠のサッカー小僧が変えたジュビロの日常
実は俊輔が左足をボールにインパクトさせる刹那に、加藤がわずかながらニアサイドへ重心を移動させている。数秒の間に俊輔が仕掛けた、駆け引きの産物といっていい。
その後に体勢を立て直し、必死になってファーサイドへダイブ。俊輔をして「反応が速い」と警戒させた通りに、懸命に伸ばした加藤の両手の先がわずかながらボールに触れている。
「ただ、コースが甘かった。こういうゴールもあるんだな、と」
まだまだ修行が足りない、とばかりに苦笑いする俊輔は、加入から1ヶ月とたたないうちにジュビロの日常を変えた。全体練習が終わった後もグラウンドに残り、黙々とボールを蹴り続ける。
もちろん、一人で蹴るわけではない。ジュビロの守護神で、U‐21ポーランド代表歴をもつ26歳のクシシュトフ・カミンスキーはよく居残り練習の相手を務める。
あるとき、渾身のスピードを込めて右隅へ蹴った直接フリーキックを、横っ飛びで鮮やかにキャッチされたことがあった。人形の壁がブラインドになって、自分が蹴る姿は見えていないはずだった。
「カミック(カミンスキー)に聞いたら『最初は見えないところにいる。キッカーが助走を始めたら見えるところに移動して、蹴った瞬間に反応する』と。逆を突いたはずなのに、逆に見られていたんだよね」
新天地で日々味わう新鮮な驚きを、自身の引き出しに加えていく。アルディージャ戦で決めた先制弾にも、少なからず役立っていたはずだ。永遠のサッカー小僧は、初勝利をあげた試合後にこんな言葉を残した。
「純粋にサッカーができる環境を与えてもらっていることに、恩返しがしたかった。たかが1勝だけど、僕にとっては大きな一歩だと思う」
放っておけば1時間でも個人練習を積む俊輔を念頭に置いて、名波浩監督は「居残りは20分間まで」とたまらず通達を出した。いまではグラウンドの数ヶ所で、居残ってボールを追いかけるグループが見られる。
■最終章へと紡がれていく左足による伝説
経営に参加したイギリスのシティ・フットボール・グループ(CFG)の意向を強く受け、世代交代やチーム改革が進められるマリノスでは特に昨シーズン、グラウンド以外の部分で心を悩ませ続けた。
CFGには外資ならではのドライな判断が、選手たちは日本人ならではの情もほしかった。その板ばさみになってきた感のあるキャプテンの俊輔は、思い悩んだ末にマリノスとの決別を決めた。
その最大の理由が、アルディージャ戦後に漏らした「純粋にサッカーができる環境」という言葉に凝縮されている。誰よりもサッカーが好きだ。だからこそ、1日24時間のすべてをサッカーに集約させたい。
6月で39歳になる。現役に別れを告げるときが刻一刻と近づいていると、自分自身でも感じている。そんな状況で声をかけてくれたのが、ジュビロを率いる名波監督だった。
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日本代表では「10番」を背負った
(c) Getty Images
日本代表における「10番」の先輩でもある指揮官は、ことあるごとに「ひとつのプレーでガラリと変えられるのがお前だ」と檄を飛ばしてきた。実際にアルディージャ戦での一撃で、ジュビロに自信をもたらした。
「僕が決めたといっても、マタ(川又)が体を張って、ムサ(ムサエフ)が推進力を出して、仲間がもらったファウルだから。全員のゴールだと思っている」
新しいチームメイトへ感謝の思いを告げた俊輔はかねてから、ゴールを決めたときには、新たな挑戦へと通じる扉を開けてくれた名波監督に「抱き着きたい」と公言していた。
「まあ、まあ、今日は遠かったからね」
初ゴールを叩き込んだエンドは、ジュビロベンチとは逆だったために自重した。もっとも、俊輔は笑いながら、こうつけ加えることも忘れなかった。
「もっと大事な場面でします」
歴代1位にランクされる直接フリーキックからのゴールを、他の追随を許さない「23」に伸ばした2017年3月11日。おそらくは最終章へと紡がれていく俊輔の「伝説」が、雄々しく幕を開けた。