世界で戦うサムライフットボーラー、プロを目指したその先に「宝物」【セカンドキャリア論】 | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

世界で戦うサムライフットボーラー、プロを目指したその先に「宝物」【セカンドキャリア論】

「夢」という言葉を使うことに、違和感を覚えるのは何歳ころからだろう。

オピニオン コラム
菊池康平(きくちこうへい)さん
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「夢」という言葉を使うことに、違和感を覚えるのは何歳ころからだろう。

年齢のせいか、それとも社会の空気か。

キング牧師の「I Have a Dream」、はたまたオバマ大統領の「Yes We Can」など、日本語に訳したらなんだかこそばゆくなってしまうような表現も、英語ならスッキリと入ってくるが、これは文化の問題ではない。シンプルに、情熱が問われている。

菊池康平さんの「夢を叶える」という言葉は、聞いているものの胸を打つ力があった。今回の主人公だ。

「プロを目指した人は、その後どういったキャリアを歩んでいるのだろうか?」

菊池康平(きくちこうへい)さん。

大学時代、バイトを繰り返し、貯金ができたらその都度海外のサッカーチームのトライアウトに出かけるという怒涛の日々を過ごした。

複数の国へ道場破りの様な形で挑戦するもプロ契約出来ず、大学卒業と同時に就職。海外でプロサッカー選手になる夢を諦めきれず、入社し丸3年が経った2008年6月に会社を休職し、2008年8月にボリビアでプロ契約を果たした。

復職後もハングリー精神を忘れない為、夏季休暇や年末の休暇を利用し海外のチームへ道場破りを繰り返す。15カ国にサッカーで挑戦した経験を少しでも活かすべく、今後の活動方法を模索中。

「学生時代から華々しい経歴をたどってきたわけではない」と話す菊池さん。話を聞いていくと、エリート街道まっしぐらとは到底言えないようなでこぼこ道を自分の力で駆け抜けてきたことがわかる。謙虚な話しぶりの中に確かな自信を伺わせる菊池さんのルーツは、どこにあったのだろうか。

●ひとつの成功体験が次の成功を生む

---:サッカーとの出会いは。

菊池康平さん(以下、敬称略):母親に、「あのかっこいい服来ている人たちと一緒に遊びたい」と告げてサッカークラブに連れて行ってもらったのがサッカーに出会ったきっかけでした。ユニフォームに憧れたんです。小学5年生のときにはJリーグができ、サッカーブームが日本でも巻き起こりました。

中学2年生のとき、視力が落ち、ものがよく見えなくなったストレスから、サッカー部から陸上部に転部しました。たった十数秒で勝負が決まる100m走。1年間の練習の蓄積がすべてその瞬間で終わってしまう。その重さにも惹かれました。

サッカーに戻ったのは、中学3年生のころ。元Jリーガーがコーチとして教えてくれるというクラブチームが地元にできたということを聞いてからです。チラシを見て自分で電話して、「練習に参加したいです」とチームに伝えました。自分から何かを求めて動いたのははじめてでした。もしかしたら、自分のターニングポイントはここだったのかもしれません。

高校ではユースチームに入ろうと、ヴェルディユースなど、関東の有名チームのセレクションを片っ端から受けました。6チーム受けても不合格だったのですが、7チーム目のセレクションでFC町田ユースというチームに拾ってもらいました。夜までクラブチームで練習し、朝には高校に通うという日々を繰り返しました。

いま思うとあたりまえなのですが、周りもセレクションを通ってきた上手な選手だったので1年経ってもなかなか試合に出場することができませんでした。当時はすごく焦っていたので、「試合に出場できないなら移籍しよう」と思いはじめました。

そこで、柏レイソルの下部組織のユースチームに電話をかけてお願いして、チームに入れてもらえることになりました。最終的には試合にも出場することができました。

●大学サッカーをするために「部活に戻る」という戦略的撤退

菊池:周りのレベルを知るにつれ、高校3年生の時点でプロになることは無理だということを痛感しました。部活に戻り、勉強しつつ、「大学サッカーを経てプロを目指そう」と考えを改めました。

---:自分の実力がプロとは差があることを理解したのにも関わらず、なおプロを目指していこうと考えた。普通は諦めて他の道を探そうと考えると思うのですが、そのマインドはどこからきているのですか?

菊池:自分の世代だと、三浦知良選手、中澤佑二選手など、いわゆる「シンデレラボーイ」の代名詞となるような選手たちがいました。「サッカーの世界では、そういうことがあるのかな?」と漠然と逆転劇を信じていたんです。特に、自分は身長が高かったということもあり、中澤選手に自分を重ねていましたね。

大学サッカーをするために、クラブチームから部活に切り替えて勉強に力を入れたというのも、ちょっと嫌ですが戦略的だったかもしれませんね。また、チラシを見て自分で電話して、チームに入れてもらうという成功体験があったから、自分からどんどん環境を選択して飛び込むことができるようになっていったのだと思います。

大学は明治大学に進学したのですが、明治大学のサッカー部に入ってくるような選手は、それこそ自分がテレビで見ていたような「全国大会に出場しているチームのキャプテン」ばかりだったので、普通に入部しようとしても無理だと感じていました。

ですから、監督に頼んで高校の時から練習に参加させてもらいました。冬は走る練習が中心で、自分はかなり走れる方だったのでなんとか部活には残れそうでした。ただ、やはり技術での差などは非常に高く、このまま4年間試合に出れないままで終わりそうな気がしたのです。そこで夏休みに、シンガポールのプロサッカーリーグに挑戦することにしました。

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その1、プロを目指した男たちは、社会でどう羽ばたくのか
その2、休職までした末に掴んだのは、「プロになる」という夢だった
その3、「前向きに挑戦すればなにかが残る」退職後のキャリアデザイン
《大日方航》
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