【山口和幸の茶輪記】日本ラグビー快挙の陰にある、30年前の美談を忘れてはならない | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【山口和幸の茶輪記】日本ラグビー快挙の陰にある、30年前の美談を忘れてはならない

スポーツ 短信
9月19日、ラグビーワールドカップで日本が南アフリカを破る(c)Getty Images
  • 9月19日、ラグビーワールドカップで日本が南アフリカを破る(c)Getty Images
  • ヘナチョコだったけど筆者もラグビー部員だった。大学の菅平合宿にて
  • 9月19日、ラグビーワールドカップで日本が南アフリカを破る(c)Getty Images
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  • 9月19日、ラグビーワールドカップで日本が南アフリカを破る(c)Getty Images
ラグビー界最高峰のワールドカップで日本が世界3位の南アフリカに歴史的大金星。夢物語のようなその瞬間に、これまで日本ラグビー界で尽力してきた人たちが歓喜したのは言うまでもないが、今から30年ほど前、ひとつのエピソードがこの快挙の出発地となったことも忘れてはならない。

ただひたすらに楕円球を追う。そんなシンプルなラグビーなのだが、30年前からこれほど激変したスポーツは他にないだろう。かつては五カ国対抗(その前は四カ国、現在は六カ国)が頂点に君臨するリーグ戦だったが、1987年に世界一位を決めるワールドカップが始まり、2016年にはいよいよ五輪種目として復活する。

機材を扱うスポーツの自転車競技ならその進化のめまぐるしさは直感的に実感できる。ヘルメットをかぶりアイウエアを着用して走るシーンは、30年前に掲載された専門誌の写真とはまったく違う。その一方で、国際自転車競技連合が自転車の本来的な美しさを保守するために、国際規定を設定しているので選手のライディングフォームそのものは100年前とほとんど変わらない。主役である選手も、スプリンターはちょっと筋肉質、山岳スペシャリストは女性モデルのように細身と、そのシルエットは30年前とさほど変わらないように見える。

ところがラグビーはどうだ。近年は日本の高校ラガーでも身体を大きくするために五合メシをかっ込み、見事なまでにガッチリとした体格を誇っている。ジャージにしても体にフィットする化学繊維となり、それにスポンサーロゴをちりばめる。かつてラグビーはアマチュアスポーツの象徴であったはずなのに…。とどめを刺すようにラグビーが紳士のスポーツたる名残でもあったエリがなくなった。

今から30年前、三流のラグビー選手だったボクは欧州を1カ月半旅をしたことがあって、英国に渡ったときは当然のようにあのラグビー高校を訪ねていた。フットボールの試合中にエリス少年がいきなりボールを手に持って走ったというエピソードからラグビーが誕生したという伝説の舞台でもある。

このラグビー高の正門前に、ギルバートというラグビーボール作りの老舗がある。当時はもちろん4枚の革を手縫いして作っていて、ラグビー部の1年生はツバをペッとはいてボール磨きをしていた。MATCHというモデル名のボールが五カ国対抗でも使われていて、それはもう憧れの楕円球でもあった。そんなギルバート社には重厚な木目調の応接室があって、壁には往年の各国ジャージが額装で飾られていた。地元イングランドはもちろん、ウェールズ、スコットランド、アイルランド、フランス。そしてその横に桜のジャージがあった。

これは1973年に日本が初めて英国遠征したときのものだという。当時はウェールズとのテストマッチで14対62と大敗するなどまったく歯が立たなかった日本だが、試合とは違うところで関係者から高く評価された。それはスタジアムの清掃人のとある証言だった。日本チームが使用したロッカールームを清掃人が訪れてみると、前日までの部屋よりもきれいになっていたという。

もちろんこれは単に部屋を整理整頓した日本チームが評価されたというわけではない。その遠征中に見せた真摯な姿勢。ラグビー発祥の、いや多くのスポーツ発祥の地である英国に遠征するに際しての、日本代表団のふるまいを総括して評価されたことなのだ。テストマッチでは完敗だった。しかしラグビーを愛する男として素晴らしかった。だからギルバートが桜のジャージをもらって、額に入れて大切に飾ったという歴史があるのである。

こんなノスタルジックな昔話はパワーでねじ伏せてしまった現代ジャパン。ワールドカップでどんな成果を上げるのか注目してみたい。
《山口和幸》

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