ボクがツール・ド・フランスを初めて見たのは1988年。そうはいってもただの観光客で、取材申請もしていなかったから、パリの大観衆に埋もれて総合1位の選手が着用するマイヨジョーヌがどこにいるのかも確認できなかった。初取材は1989年だ。
■スマホもケータイもなかった時代
当時の通信環境は今から考えると信じられないものだった。ボク自身は自転車専門誌の編集部員だったので、帰国後に現像したポジフィルムから掲載するものを選んで、メモを見ながら原稿を書けばよかった。ヨーロッパの新聞記者は毎日その場で原稿を書いて送らなければいけないのだが、本社に電話をかけて手書き原稿を読み上げていた。しかもフランステレコムが設置する電話ブースは、利用するたびに申請して電話をかけた時間から料金をその場で清算する。当然スマホもケータイもなかった。
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サルドプレスといわれる記者の仕事場
自転車専門誌を巣立った後の1997年から、全日程を独自で追いかけた。真っ先に声をかけてくれたのが東京中日スポーツで、その原稿を送る仕事が最優先となった。米国で誕生したインターネットがそろそろ一般的になったころで、Eメールも普及し始めていた。ただし接続はダイヤルアップで、フランステレコムの電話ブースでモジュラージャックを差し込んで送信し、大会終了時にまとめて電話料金を清算した。
当時のフランスではインターネットの対抗馬として「ミニテル」という情報端末システムがあって、国を挙げてその普及につとめていた。8インチくらいの白黒ブラウン管にアルファベットが表示されるという、恐ろしく簡単なものだが、レース状況はそれを作動させないと確認できなかった。もちろんテレビ中継はやっていたのでずっとそれを見ていればいいのだが、ゴールまでの移動もあってそうはいかないのである。ミニテルは2、3年でインターネットに駆逐される。
しばらくしてパソコンで原稿を打つのが主流となり、原稿を書き終わった記者は電話ブースまでパソコンの画面を開いたまま走っていき、有線LANで送信した。タイプライターの音をカチャカチャ言わせている名物記者もまだいて、FAXで送っていたようだ。最後まで口述筆記で電話を利用していた老練記者のクロード・スードル氏はいつしか姿を見せなくなってしまった。
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ツール・ド・フランスは商業化を持ち込んだ世界初のスポーツイベントだ
■進化していく通信環境
さて、あれから19年になるが、通信環境は年を追うごとに進化していく。いつの間にかWi-Fi(ウィフィ)が飛ぶようになり、電話ブースに走らなくてもその場所で送信できるように改善された。インターネットの公式サイトではレース展開から優勝者インタビューなどがいつでも確認できるようになる。それは同時に、現地にいなくても世界中のどこでも見られるので、記者は現地でつかんだ情報で勝負しないと現地にいる価値がなくなったということだ。
インフラ整備は日進月歩で、毎年現地に行っていると「今年はここが変わったんだね」と進歩が分かる。それと同時にいつもの設備担当者、記者、カメラマン、大会スタッフ、警備員に再会する。機材は変わるがフランス社会は保守的で世襲的なところもあり、役職が変わるということがあまりない。そしてこの仕事が彼らにとっては誇りあるものなので、身体を壊さない限りは続けていたいものなのだと思う。
前述の老練記者のように現場に来なくなる人も次第に多くなったので、どうしたんだろうと心配になる。ちょっとさみしい気持ちもする。タイプライターの音が今年も聞こえたような気がしたんだけど…。