試合後には原口への感謝の思いを口にした香川だが、原口のアシストはドリブルとパスだけに限らない。相手を困惑させるボールキープとフリーランニング。何よりも己の力を信じて、臆することなくストロングポイントを仕掛ける姿勢が、日本代表では精彩を欠くことの多い香川を覚醒させたといっていい。
1991年5月生まれの原口は、小学生時代から「怪童」として埼玉県内で名前をとどろかせていた。日本代表をも担う未来のエース候補として、何がなんでもレッズのジュニアユースに迎え入れろと厳命を下したのは当時社長の犬飼基昭氏だった。
後に日本サッカー協会の第11代会長を務めた犬飼氏は、ジュニアユースに入団して間もない原口の一挙手一投足を振り返るときに、決まって同じフレーズを用いる。
「いやはや、とんでもないやんちゃ坊主でした」
実際、当時のジュニアユースのコーチ陣に対して、犬飼氏はこんな指示を与えている。
「しっかりあいさつができるようになるまでは、ボールを蹴らせなくてもいい」
満を持してボールを使った練習が解禁されると、中学生ながらトップチームの大人たちをごぼう抜きにしたドリブルはいまでも語り草になっている。
高校3年生に進級する前にプロ契約を結んだのは、順調な成長軌道を描いた証でもあった。同時に、組織のトップをして「とんでもない」と言わしめたやんちゃぶりも幾度となく顔をのぞかせる。
練習中の悪ふざけが昂じてチームメイトと喧嘩となり、相手に蹴りを見舞って左肩を脱臼させて謹慎処分を科された。途中交代に激怒して試合中にミハイロ・ペドロヴィッチ監督に詰め寄り、試合後にサポーターへあいさつすることなく帰宅して翌日に謝罪させられたこともある。
紅白戦における指揮官の指示に激怒し、クーラーボックスを蹴り上げて練習を中止に追い込んだのは2年前の夏。原口を指導してきた2年半を、ペドロヴィッチ監督は「私にとっても闘いの連続だった」とこう振り返ったことがある。
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