家の近くに海があれば、どこまでも続く水平線を、窓越しから眺めることができる。
家の近くに川があれば、川のせせらぎがBGMになる。家の近くに高い山があれば、その圧倒的な自然美を常に背負って生活することになる。
では、家の近くに低山があれば。山菜採りや野鳥の声を楽しみながら生活できる? きっと、そのようにしようと思えば、そのようになるのだろう。
どれもこれもに一致することだが、家の近くに何があろうが、自分の生活に関わりがなければまったく意味をなさない。これは、自然に関するものだけでなく、都市的な機能についても同じだ。
電車に乗らないのに、駅が近くにあってもさほど意味をなさない。バスに乗らないのに、バス停が近くにあっても、邪魔なだけだろう。大型商業施設が近くにあったとしても、利用しなければあまり意味がない。返って混雑してしまい、鬱陶しいだけである。
だが、それらが日常生活において利用頻度の高いものならば、当然別である。そう、筆者にとっては、低山が近くにあるならば、取材が楽になる。
例えば、忙しくて取材に行く(山に登る)機会がない日々が続いたとする。取材に行きたい(山に登りたい)が、時間がない。そういう時、近くに山があればいいなぁと思う。
【家から一番近い山…朝房山(1) 続く】
《久米成佳》
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