先日、祖父の四十九日に行ったときのことである。寺のお坊さんがお経を唱え終えると、奥の部屋に通してくれた。
その部屋には座布団のようなものが部屋いっぱいに敷かれていた。それらをよく見ると、座布団と思っていたものは袈裟袋で中に何かが詰まっている。ひとつひとつの袋には寺の名前と写真が貼ってある。
寺のお坊さんの説明によると、寺は四国八十八箇所の寺であり、袋にはそれぞれの寺の土が詰まっているという。袋に入った土を全て踏むと、四国八十八箇所を全て巡るのと同じ御利益があるらしい。部屋の中で「お遍路さん」ができる訳だ。お坊さんからの説明を受けて、高鈴山の金山百体観音を思い出した。
助川山から高鈴山への登山道の途中に、金山百体観音はある。百体観音とは、西国33所、坂東33所、秩父34所の100の観音札所のことであり、平安時代からこれらを巡拝すれば御利益があるとされてきた。
だが、実行するには経済的、時間的にも困難であるため、江戸時代になると観音札所の本尊を石仏に彫り、番付や寺の名前、御詠歌などを刻んで建立し、それらをお参りすれば100観音を巡拝したのと同じご利益があると信じられるようになり、各地に広まったという。(現地の看板から引用)
これは、先のお遍路さんの話と同じ「近道」的な考えである。ただし、金山百体観音は70体ほどしかないらしい。志半ばで断念してしまったのだろうか。「志半ばで断念」といえば、まさに高鈴山への頂上への道のりである。
前々回に書いたように、何度か「志半ばで断念」した高鈴山であったため、今度こそはという想いが強かった。気合が入り過ぎて空回りしてしまい、登山道への道を間違え、登山時間が大幅に削られてしまっていた。その上、助川山からの眺望に感動し、お昼の時間もたっぷりと取りすぎた。道も景色も変化が少ないため、歩いている時間がとても長く感じられた。
歩いても、歩いても、高鈴山頂の目印である白い巨塔は姿を見せず、日が少しずつ落ちていくのを肌で感じ、焦りが出始めた。日暮れ前に下山できなければ、いかに低山といえどさすがにアウトだ。下りは登りよりも1.5倍ほどの速さで歩けるはずだが、未だ登りの最中で頂上が見えない状況である。これはまたもや「志半ばで断念」か。
そのように思い始めたころに、ようやく目印の白い巨塔が姿を現した。その姿はまだ遠くに見えるが、目標物が目で確認できたので歩く意欲が再びわいた。
歩いても歩いても、変わり映えしない環境に人は疲れ、志半ばで断念してしまうのだろう。だが、歩いた分だけ、距離は確実に縮まっている。目標に近くなっている。とはいえ、人はそれに我慢し切れず、近道をしたがるのだ。しかし、近道は近道に過ぎず。本当の道を歩かなければ、得られないものがある。
近道などあると思うからいけないのだ。近道がないと思えば、目の前にある道を歩くしかない。覚悟が決まれば、人は強くなれる。きっと歩き通せると思うようになる。
そうして、ようやくたどり着いた高鈴山の頂上に立ち、眼下の景色を眺めて思うのである。(帰りは近道したいなぁ)と。
《久米成佳》
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