◆9歳の男の子が感じた五輪の壮大さ
五輪が行われた「1964年」は、東海道新幹線の開業もあり、日本が戦後復興を成し遂げ、輝いた年です。
当時の状況を振り返ると、東京大会が行われた1964年東京オリンピックは、空襲で破壊された東京に、基本的なインフラを整える最大の機会でした。
東京都、高円寺生まれの樋口さん。
当時の高円寺は畑や雑木林も多く「田舎だった」と明かします。雨が降ると川が氾濫して、膝まで水が浸かる事態になることもしばしばだったそう。
「(高円寺の住宅も)瓦屋根でボロイ木造平家で、本当に発展途上国のような。いまから考えると東京ではないかのような場所でした。新宿に行くときは『東京に行く』と言っていましたから。そこにオリンピック道路と呼ばれた巨大な道路ができて(現在の環状7号線)、車はまだあまり通らないのでかけっこなんかしてた(笑)。東京中が工事中というか、もの心がついてから、オリンピックに向けて東京が変わっていく過程を見てきました」と語ってくれました。
街が近代化していく歴史と共に、樋口さんも大きくなってきたのです。
ハガキを大量に出し、開会式のチケットを幸運にも手に入れた(当時、開会式のチケットは抽選制だったということです)樋口さん一家。一家全員が観戦する分のチケットは手に入らなかったようですが、ご両親は9歳の息子、良澄さんを開会式に連れて行きます。
その感想が、新聞記事になりました。
「子供だからなのか、国立競技場がものすごく巨大に見えました。その後ラグビーやサッカーを観戦するために何度か訪れましたが、あんなに人が入っているのは見たことないですね。普通ではない量の老若男女。子どもがいる家族は、一つの席に2人が座っていたり。スタジアムの角度も急に見えてまるで奈落の坂で、そこに人々の頭が密集して迫ってきて息づまるような感じでした」

快晴だった開会式の10月10日。様々な国籍の選手が荘厳な音楽とともに入場しました。
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