そうすることで1964年東京オリンピックから学べることがあるはずです。我々メディアは往々にして未来にばかり目を向けがちですが、一度過去に立ち返ることも必要なのではないかと考えるに至りました。
そんななか、まずは過去の情報を頭に叩き込む意味で、過去の新聞を調べました。
すると、とある新聞に巡り会いました。1964年10月11日の読売新聞です。紙面いっぱいに、6人の小学生たちが実際にオリンピックを観戦した感想について語っていました。
そのうちの一人が、当時杉並区立桃井第二小学校三年生、「樋口良澄」くん。のち我々は「樋口さん」とお呼びすることになる、紙面上では9歳の男の子です。
新聞で樋口くんは開会式を見た感想について以下のように述べていました。
(以下1964年10月11日読売新聞朝刊から引用)
十月九日の夜、ぼくはうれしくてねむれなかった。目がさめた。すばらしい秋空だ。「早く、早く」とのんびりしているおかあさまをせきたてて、国立きょうぎ場に行った。さいしょはぐんがくたいの行進だ。オリンピックのはたがあがった。
天皇陛下が「これからオリンピックをします」とおっしゃった。しゅくほうが「ドーン、ドーン、ドーン!」と三つなった。そのうちに「ワー、ワー、ワー」とかんせいがあがって下を見たら白いけむりをもくもくとなびかせて坂井ランナーが、トーチを高々とあげてとうちゃくした。高いかいだんをかけ上がり、せいか台にてん火したときは、さい高に、かっこよかった。
一万この風せんが、まるで空の花のようにまいあがった。あんまりきれいなので、ぼくは「つかまえたいなア」と思った。ハトがいっせいにはなたれ、空の遠くへととんでいった。さいごにひこうきがとんで来て、雲ひとつない青空に五りんのわを書いてとびさっていった。
ぼくは、日本に生まれてよかったと思った。きっと、世界の人々が、オリンピックを見て「日本はすばらしい国だ」と思うだろう、と考えたらこれからたのしいことがいっぱいあるような気がした。
9歳にしてこれだけ鮮やかな感想を記者に語った樋口くん。只者ではありません。この言語感覚に長けた樋口くんが紙面上の男の子から、人生の先輩として我々の目の前に現れるようになったのは、インターネットでこの「樋口良澄」という名前を何気なく検索したことがきっかけでした。
「樋口良澄」で打ち込んだ結果インターネット上に出てきたのは、「関東学院大学の客員教授。1955年、東京都生まれ」という情報です。

1964年時点で9歳の男の子ならば、辻褄が合います…。
我々は「1964年の10月11日読売新聞朝刊に掲載されている樋口良澄くん(当時9歳)は、関東学院大学で客員教授をされている樋口良澄さんなのではないか」と関東学院大学に連絡をとりました。
関東学院大学広報課には、その日のうちに「確かに読売新聞に掲載されていた当時9歳の樋口良澄は、本校の客員教授で間違いありません」と返事をいただきました。
一週間後。
関東学院大学で編集文化論を教える、樋口良澄さんにお会いすることができました。当時の様子を肌で感じ、その様子を新聞に取材され、記事となって登場した貴重な人物です。

関東学院大学で編集文化論を教える、樋口良澄さん
(次のページ:9歳の男の子が感じた五輪)