【東京2020とわたし】世界が灰色からカラーに…1964年のオリンピックを観戦した9歳の男の子は、いま 3ページ目 | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【東京2020とわたし】世界が灰色からカラーに…1964年のオリンピックを観戦した9歳の男の子は、いま

スポーツ まとめ
参考画像:1964年東京オリンピックの様子
  • 参考画像:1964年東京オリンピックの様子
  • 【東京2020とわたし】世界が灰色からカラーに…1964年のオリンピックを観戦した9歳の男の子は、いま
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  • 参考画像:1964年東京オリンピックの様子
  • 1964年 銀行で働く女性たち(1964年1月13日)
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◆世界が、灰色からカラーに

「選手たちが着る民族衣装が意識されたようなユニフォームもカラフルで、『世界が灰色からカラーになった』という印象を受けました。途上国だった日本が近代国家になったというか。子どもでもそういう印象でした」

外国人といえばそれまで白人や黒人しかいない印象だったと語る樋口さん。おそらく大人でも似たようなイメージを外国人に抱いていた人は多かったのではないでしょうか。

「アフリカ、南米、東南アジア。それぞれの国の文化が表現されたユニフォームを着て、帽子を被って…。ものすごいカラフルで、こんなに人種があるんだ、と驚いた。そのあと、選手宣誓があって聖火が入って来て…。今の五輪では考えられないくらい真面目で、厳か。天皇が開会宣言をして。国家的セレモニーという感じでした。開会宣言があったあと、鳩を一気に飛ばしたり、ブルーインパルス(自衛隊の飛行隊)が五輪を上空に描いたり。壮大で、スペクタクルで、子ども心にも本当に素晴らしいと思いました」

参考画像:1964年東京オリンピックの様子


今の時代を生きる子どもたちが2020年の東京オリンピックにどういった影響を受けるのかはわかりません。ただ事実として9歳の樋口少年は当時の五輪に強い印象を抱きました。

「当時は、人類というか、国際社会にむけて、東京オリンピックに対する理想が大人達にはあったと思います。復興をなしとげた平和国家として世界に認められたい感覚というか。後から思えばそうだったのだと思います」

当時のオリンピックは、「人類みんなで仲良くしよう」といったメッセージが様々な場所に露出していたようです。実際に小学校でもオリンピックと平和の関係について学習したという樋口さん。また、当時の小学校では、オリンピック期間、授業の一環としてオリンピックの様子をずっとテレビで流していたのだとか。教育とオリンピックが結びついていたのです。

1945年から20年も経っていない1964年。当時オリンピックで「平和」のコンセプトを打ち出していたのは、戦争を実際に体験した人々でもありました。

例えば、「東洋の魔女」と当時呼ばれた日本女子バレーボールチームを率いた大松博文監督は、戦時中インパール作戦に従軍した一人でした。戦争の影が、オリンピックの裏には潜んでいました。この影を振り切ろうとした覚悟のようなもの、戦争では体現できなかった理想を実現しようとした大人たちの強い思いも、「平和」のコンセプトに隠れていたようです。

また、テレビなどを通してスポーツを見る習慣が、日本国民に身についたのも、このオリンピックがきっかけでした。

一般的にはまだカラーが普及していなかったテレビですが、少しずつ「カラーの世界」に突入していきました。オリンピックの開会式の様子がカラーで新聞に掲載されることもあったようです。

この時期、象徴的にカラーの世界へメディアが変わっていったことと、様々な国籍の人々が民族衣装を着て入場したこと、東京大工事の完成、戦争を知る大人が理想の平和を掲げ開会式を迎えたことなどが、樋口さんの世界観に大きな影響を与えました。

まさに、「灰色からカラーの世界」に世の中が変化していったように感じたのでしょう。

(次のページ:2020年東京五輪に求めること)
《大日方航》

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