そう語っていた村田諒太(帝拳)が敗れた。5月20日、WBA世界ミドル級王座決定戦でレギュラー王座をかけて同級1位のアッサン・エンダム(フランス)と対決したが、1-2(117-110、111-116、112-115)で判定負けとなった。4回にダウンを奪うなど一見すると優勢に見えたが、手数の少なさに勝利の女神は微笑まなかった。
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村田諒太 vs アッサン・エンダム
(c) Getty Images
4月3日に行われた記者会見で開口一番、村田が口にしたのは感謝の気持ちだった。世界ミドル級の試合を組み、さらに自国開催という舞台を用意してくれた関係者たちに「その受けた恩恵をしっかり結果で返したい」と意気込みを見せていた。
試合後は「結果は結果なんでね。僕自身がどう受け止めるかってことはないです。試合の内容についても第三者が判断することですし、僕自身が勝ってた、負けてたと言うのは違うと思いますので、あまり言いたくないことですね」と切り出したが、続けた言葉は関係者への謝罪の言葉だった。
「ただひとつ言えるのは、この試合を組んでくれた帝拳ジムの皆さんを始め、僕にとってすごく大切な人たちが力を貸してくれました。その人たちに対して、勝てなかったことが、ただただ申し訳ない。それだけです。集まっていただいたファンの方々にも勝つ姿を見せられなかったのが申し訳なかったです」
エンダムの勝利が告げられたあと、村田はしばらく呆然としていたが、間も無く観客席に向かって何度も深く頭を下げた。その姿は勝てなかった悔しさよりも、恩を返せなかった無念の気持ちの方が大きかったように見えた。
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観客席に頭を下げる村田諒太
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1回の村田はほとんど手を見せなかった。エンダムの動きを観察し、「パンチの角度を見るまでは手を出す必要はないと思っていて。それで足を使ってくれるんだったら詰めて打てばいい」と考えていた。それが判定に影響したとは思っていない。
「逆に打っていって、角度のわからないうちにいいパンチをもらっていたら、もっとダメな結果だったと思う。作戦としては間違っていなかったと思います」と振り返る。ダウンを取ったことに手応えは感じていたが、手数が少なかったことも自覚している。
「もっと打てるシーンがあったらよかった。明らかに何発か打ったあとに休むシーンがあって、そこをもっと突き込めればよかったかなと反省が残っています」
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村田諒太 vs アッサン・エンダム
(c) Getty Images
WBAではジャッジのポイントの途中経過は発表されない。気になってはいたが、「ジャッジというのはプロフェッショナルですから、それについて僕がどうこう言えないですよね。ダメージングブローじゃなくてジャブを(ジャッジが)取ったということだと思います。そこは納得せざるを得ないんじゃないですかね」と第三者の目を受け入れる。
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スコアシート
エンダムのパンチ力は評価するが、効いたパンチは受けなかった。自身のボクシングを判定につなげることは叶わなかったが、「でも、やってて楽しかったです」とサッパリした表情で続ける。
「11ラウンド、12ラウンドはチャンピオンラウンドと言われるラウンド。世界タイトルは獲れていないけど、相手と12ラウンド殴り合えるボクシングができた。自分が12ラウンドああやってボクシングできるなんて、中学校のときに初めてボクシングを見にいったときのジムでは想像できなかったので、そこまで自分が今やっているんだということが楽しかったです」
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試合後の村田諒太(右)と田中トレーナー
中学校3年生で本格的にボクシングを始めた村田。名門として知られる南京都高校ボクシング部で故・武元前川氏の指導を受けていた当時も、五輪で日本に金メダルを持ち帰ったときも、まだそんな未来の自分を描いてはいなかっただろう。
しかしプロ13戦で初めての敗北を喫する。12回を終えて手を挙げながらも変な予感を感じ、「判定を聞く瞬間に、正直胸騒ぎみたいなのはしました」と吐露した。今後については、整理する時間が必要としている。
「これだけ多くの人に支えてもらってやってきて、12ラウンドやって勝てなくて『はい、もう一回僕やりますよ』なんて無責任なことは言えない。本当にいろんな多くの方々に助けてもらって、この舞台を用意してもらって。僕ひとりでどうとかだけの話ではない。オリンピックが終わってから注目されるようになって、自分なりに努力してきたつもりなんで、その努力の集大成として見せたいのが今日だった」
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試合後の村田諒太
村田はエンダム戦が決まった直後に、ボクシングには「スタートとエンディング」があると語っていた。世界タイトルマッチで勝てば「次のステップに向かうスタート」になり、負ければ「試合ができなくなるエンディング」が待っているということだ。
世間では今回の判定に対して疑問の声も挙がっている。チャンピオンベルトを逃した村田は、新たなスタートを切るのか、それともエンディングを迎えてしまうのだろうか。31歳で人生の岐路に立たされた。