頂上周囲の木は落葉樹であるが、葉の落ちた冬でも展望はほぼない。だからといって、仏頂面になってはいけない。仏頂山から高峰へと続く縦走路は、ところどころに展望のよい場所がある。
■これぞ、日本の田舎の原風景
山あいを縫って田が広がり、ところどころに民家があり…。山周辺には日本の原風景ともいえる風景が残っており、それを眺めながら歩くのはなんとも気持ちがいい。
以前に紹介した竪破山の竪破石を小型化したような「桃太郎石」も、何だか可愛らしい。高峰山頂間近の登山道の両側には、落葉樹がずらりと並び、どこかヨーロッパ的な雰囲気が漂う(行ったことないけど)。
歩いているだけで胸が高鳴るような、そんな素敵な登山道であった。
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栃木県・高峰にあるパラグライダーの飛行台からの眺め
さらに進むと高峰の山頂だ。ここも、残念なことに視界は開けていない。だけれども、その先を5分ほど歩くとパラグライダーの飛行台があり、そこからはこの山一番の風景を見ることができる。芝生に足を投げ出して座り込み、そこから見える景色をしばらく眺めた。
■動かない世界と、動かない現実
筑波山や加波山が冬の空の薄い青色をバックに、でんと構えている。その風景には、動くものが何もない。リアルなのに、静止画像なのだ。
それだけでなく、周囲は静かで音すら聞こえない。動きも音もない世界… 写真や絵画の世界に迷い込んでしまったような感覚に包まれる。夢か現実かわからなくなる。むしろ、夢であって欲しいとすら思った。
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高峰山頂にある標識に従って歩くと、飛行台にたどりつく
思い返せば、仏頂山の登山口、楞厳寺(りょうごんじ)からここまでおおよそ5kmの距離を歩いてきた。平坦な5kmではない。登ったり下ったりの5kmである。しかも、ここ2ヶ月はまともな登山はおろか、運動すらしてこなかった筆者の5kmである。
だから、飛行台に着いた時点で足はパンパン、体は汗ビッショリ、心もグッタリ。今からまた同じ道を、仏頂山のあの急な階段を、自分の足で帰らねばならないという現実から、目を背けたくなるわけである。
“仏の顔も三度”というが、“仏の頂は一度”でいいと思った。