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【THE REAL】元日本代表・内田篤人は絶対に下を向かない…不死鳥のごとき復活劇を果たすために

オピニオン コラム
内田篤人 参考画像
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  • 内田篤人 参考画像(2015年4月11日)
  • 内田篤人 参考画像(c)Getty Images
  • 内田篤人 参考画像(2014年11月14日)
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いきなりトップチームに合流せず、まずはU‐23(23歳以下)チームの練習に部分的に参加。元気にランニングする姿を、日本語版クラブ公式ツイッターはこんなつぶやきで祝福している。

「ウッチーが、ウッチーがシャルケで走っている!」

完全移籍でシャルケの一員となって、実に7シーズン目に入った。すでに2018年6月まで契約を延長するなど、クラブとサポーターからこよなく愛される存在であることが伝わってくる。

◆残念ながら、少しぶり返した

もっとも、順風満帆に映っていたリハビリのステップが、開幕を目前に控えた段階で暗転してしまったのか。前出のツイッターは、内田の右ひざが再び悲鳴をあげたと伝えている。

「残念ながら、少しぶり返したようだ。トレーニング後に再び痛みがあった。短期間、日本で彼が信頼する医師の治療を受けることになる」

現地時間27日には、ブンデスリーガの2016‐17シーズンが開幕。シャルケは日本代表のキャプテン、MF長谷部誠が所属するフランクフルトの本拠地に乗り込む。残念ながら出場はかなわなくなったが、焦りは禁物とばかりに、内田はドイツへ発つ前にこうも語っていた。

「長いこと休んでいるので、頭(開幕)からいけるかどうかはわからないですけど」

内田がシャルケの右サイドバックとしてプレーしたのは2015年3月10日、レアル・マドリー(スペイン)とのUEFAチャンピオンズリーグ1回戦までさかのぼってしまう。

その後は右ひざの違和感もあってリーグ戦でリザーブに回っていたが、バヒド・ハリルホジッチ新監督が就任した新生日本代表に招集され、初陣となった3月27日のチュニジア代表との国際親善試合(大分銀行ドーム)で残り6分から途中出場する。

さらには、同31日のウズベキスタン代表との国際親善試合(味の素スタジアム)で先発出場。予定通りに前半だけで退いたが、ドイツに戻った後に右ひざの状態が悪化してしまった。

◆ワールドカップ・南アフリカ大会

サッカーだけではなく、ひどいときには痛みを恐れるあまり、日常生活でもしっかりと足を踏みしめられなかったこともある右ひざのけがをたどっていくと、2014年2月9日にたどり着く。

この日に行われたハノーファー戦で右太ももの裏に肉離れを起こした内田は、その後の精密検査で右ひざの腱も断裂していることが判明。シャルケのチームドクターからは手術を勧められた。

完治させて翌シーズンを目指すのであれば、もちろん手術が最善策となる。しかし、利き足のひざにメスを入れれば、約4ヶ月後にはじまるワールドカップ・ブラジル大会の舞台にはおそらく立てない。

シャルケへ移籍する直前の2010年6月に開催されたワールドカップ・南アフリカ大会。岡田武史監督が下した戦術変更のもとで、当時22歳の内田は開幕直前になってレギュラーの座を剥奪されている。

胸中に悔しさを募らせながら、それでも内田は岡田監督に理由を聞かなかった。意地もあったのだろう。心のなかで「自分に本当の力がなかったからだ」と言い聞かせながら、必死に前を向き続けた。

新天地ドイツで心技体を磨き続けたその後の4年間。首脳陣およびチームメイトの信頼を勝ち取り、右サイドバックのレギュラーとして活躍してきた軌跡を、こんな言葉で振り返ったことがある。

「苦しかったけど、あの(ワールドカップ・南アフリカ大会の)経験を無駄にしちゃいけない、自分に返さなきゃいけないと思ってきた。ドイツで4年間頑張ってきて、いろいろな大会に出てきたことが力になっているのかなと思う」

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《藤江直人》

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