フリークライマー小林由佳、第一線を退き後輩育成へ「ちょっと解放されたい」 | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

フリークライマー小林由佳、第一線を退き後輩育成へ「ちょっと解放されたい」

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スポーツクライミング日本選手権リード競技大会決勝に挑む小林由佳(2017年3月5日)
  • スポーツクライミング日本選手権リード競技大会決勝に挑む小林由佳(2017年3月5日)
  • スポーツクライミング日本選手権リード競技大会決勝。ルートを確認する小林由佳(2017年3月5日)
  • スポーツクライミング日本選手権リード競技大会決勝に挑む小林由佳(2017年3月5日)
  • スポーツクライミング日本選手権リード競技大会決勝に挑む小林由佳(2017年3月5日)
  • スポーツクライミング日本選手権リード競技大会決勝に挑む小林由佳(2017年3月5日)
  • スポーツクライミング日本選手権リード競技大会決勝に挑む小林由佳(2017年3月5日)
  • スポーツクライミング日本選手権リード競技大会決勝に挑む小林由佳(2017年3月5日)
  • スポーツクライミング日本選手権リード競技大会決勝に挑む小林由佳(2017年3月5日)
10年以上に渡り日本代表として世界の壁を登ってきたフリークライマーの小林由佳。1月にワールドカップ(W杯)から退くことを発表し、先日のスポーツクライミング日本選手権リード競技大会2017で今シーズンを終えた。

スポーツクライミングは、高さ12m以上の壁をロープで安全の確保をしながら登る「リード」、3~5mの壁に設けられた課題に挑戦する「ボルダリング」、高さ15mの壁に登る速さを2名で競い合う「スピード」の3種目があるが、小林はリード中心に国際舞台で活躍してきた。W杯(リード)では2015年から2年連続で年間ランキング6位になった。

3月5日に行われた日本選手権は6位。試合後に「自分的には満足している」とさっぱりした顔を見せた。予選は7位、準決勝を5位で通過。決勝は準決勝からの休み時間も少なく、疲労でベストな登りはできなかったと振り返るが、「順位も総合的に見たら想像していたよりも良かった」と話す。

決勝の課題を見上げる小林由佳選手

1987年生まれの小林がクライミングに出会ったのは小学校2年生のときだ。現在は若者たちを中心に人気となり、2020年東京五輪では正式種目として採用されたことで注目を集めているが、当時はマイナースポーツだった。

「私が小学生で(大会に)出始めたころは大人しかいなかった。30代の選手が活躍していたり、子どもが私しかいなかったのでスポットライトを浴びて注目もされた。今は逆にユースの層が厚く、決勝(進出者)も10代が多かったり、20代後半になると『頑張ってるね』と言われるくらい」

1998年からジャパンツアーに参戦し、2001年の第1戦で初優勝したときは13歳だった。それからは破竹の勢いで勝ち進み、2005年のフリークライミング日本選手権まで国内19連勝を記録。2004年7月のW杯シャモニー大会から本格的に世界の壁を転戦するようになった。

決勝の課題に挑む小林由佳選手

小林は2010年W杯西寧大会と2015年アジア選手権で2位表彰台を獲得し、世界レベルで戦えることも証明するが、国際大会の頂点に手が届くことはなかった。自身の成績を「右上がりというよりは波があった」と話し、その波が今回の決断につながった。

「成績が落ちていたときに区切りをつけたいというか、自分で期限を決めてその期間でプッシュして頑張ろうと思った。自分で決めた期限が2016年のシーズン後だった。2015年、16年と奮起してもう一度決勝に残れるようになったし、(W杯で)年間6位という成績で終わることができた。周りやコーチから『まだ前線で戦えるのになぜ辞めるのか』という言葉をもらった。それに応えるのはすごく難しかったが自分で決めて、毎回あと何戦だとカウントしながらシーズン後を迎えようとやってきた」

一度も優勝できなかったW杯から身を引くことに悔しい気持ちもあるが、「自分なりに波を作って、そのときそのときで頑張ってきたので悔いはない」と清々しい。東京五輪の開催についても「もう少し早かったらとか、まったく思ったことはない。私は出ない方が多分良かったのかなって」と笑う。

ボルダリングに比べて派手な動きが少なく、淡々と登っていく競技だったリードだが、近年はルート(課題)設定もボルダリングに近づいている。小林はその点を「(主催者側は)限られた時間でずっと(観客が)ドキドキしているような状態が続く競技にしたい。制限時間を短くして端的に難しいものにしたり、ダブルダイノ(両手で次の一手を取りに行くダイナミックな動き)などみんながオッと思うものを入れたりするのが最近の傾向。5年前と比べたらルートの質は変化している」と説明。

その変化が小林の競技生活に影響を与えたのかというと、そうではない。人工物のホールドだけではなく、自然が造形した岩とも対峙するクライマーらしい答えが返ってきた。

「選手は出されたもの(課題)を登る、それに対応するものだと思う。こんなルートが嫌だとか思ったことはない。ボルダー(ボルダリング)の能力が必要だったらボルダーのトレーニングをしてリードに取り組めばいい」

高さ13m、最大傾斜約130°のルートを登った

10代から過酷なトレーニングを続け、第一線で登り続けてきた。今後は「ちょっと解放されたい。カッコいいルートや気持ちのいいルートを登って、自然(の岩場)に触れたい」と競技から離れて楽しみたい一方で、日本代表チームの選手育成に関わっていく。

「メインはリードでやっていたので、リードチームに尽力したい。スポーツクライミングはまだチームが確立されていない。(選手たちは国内の)各地方に住んでトレーニングをしているのでチームで集まったり、ひとりのコーチが指導するのが難しい状態。チームトレーニングを増やし、監督やコーチがどんどん選手たちに関わる機会を増やしていく取り組みを今行っている」

1989年生まれの2つ下で、小林を追いかけるように2006年から世界へと活躍の場を移した野口啓代は、「寂しい気持ちが大きい。W杯で一緒に登れることで落ち着いた」と先を登っていた同郷の先輩を想う。だが、これからの小林は別の側面から野口ら後輩クライマーと接し、一緒に壁を見上げるのだろう。

小林は最後に、「行ったことのない所に行ってみたい。スペインの南の方とか、ギリシャ、アメリカとか」と目を輝かせた。

行ったことのない岩場。登ったことのない壁。フリークライマー小林由佳は、これからもてっぺんを目指して手を伸ばしていく。

《五味渕秀行》

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