特に、仏頂山の山頂直下にある階段は、かなりの急勾配。しかも、距離がとても長い。非力な筆者は、数段上がるごとに立ち止まって息を整える必要があった。それほど、体力が消耗するのだ。
ハイカーの人が「階段は苦手だ」と言うのをよく耳にする。登山道にある階段は、段の幅と広さが微妙で、歩数と歩幅が制限されてしまうから、通常の登山道よりも歩きにくく、疲れやすい。ハイカーに苦手意識を植え付けている要因は、そのへんにある。
「階段が怖い、怖いよぅ」
つぶやきながら、長くて急な階段を上っていく。しかし、その階段を上り終わっても、しばらく歩くとまた長くて急な階段が…。ゲンナリする瞬間である。
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嫌というほどに階段がある山だった
ちなみに、茨城弁で「怖い」には「疲れた」という意味がある。従って「階段が怖い」という言葉には、「階段が疲れる」という意味も含まれている。
その疲れる階段が、何箇所もあるのだから、それこそ「恐怖」でもある。そんじょそこらの“怪談”を聞くよりも、よっぽど怖い。仏頂山と高峰の階段は、両方の意味で「怖い」階段であった。
しかし、「怖い、怖い」と言っていても、階段は次から次へとやってくる。まるで「怖い」と言っているから、階段がやってくるような気さえしてくる。
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山頂から高峰にかけては、残雪も混じる
そういえば、落語に「まんじゅうこわい」という噺(はなし)があったのを思い出す。噺の流れとは少々違うが それに倣えば、「怖い」と言わなければ階段はやってこない。「怖い」と言えば、やってくる。
ならば、欲しいものを「怖い」と言おう。階段のせいでひどく疲れたから、疲れが癒えるものがいい。そういえば、たまらなく甘いものが食べたい。そうだな、例えばまんじゅうとか。
「まんじゅうが怖い、怖いよぅ」
しかし、そのようにつぶやいても、甘いまんじゅうが実際に出てくるはずがない。仕方がないから、ザックに入っていたインスタント珈琲用の砂糖を舐めて、空腹と疲れをごまかした。
そして、「怖い」と言おうが言わまいが、長くて急な階段は、容赦なくやってくるのであった。