ツール・ド・フランスが日本で開催される可能性は「まったくない」と、これまで毎年のコース設計を担当していたベルナール・イノー(2016年で勇退)が断言していたが、バブル期には日本の広告代理店が動いて実現の一歩手前まで話が進んでいたようだ。
そのときにツール・ド・フランス株式会社(現ASO)が提示した条件は、「シャンゼリゼに匹敵する大通りで開催すること」。それに対して日本側が提示したのが「青山通り」だったというが、ツール側はもちろん東京事情をリサーチ済みで「銀座通り」が提案されなかったため話はそこで立ち消えてしまった。
そんな日本の象徴でもある銀座だが、中央通りから少し離れれば、また違った魅力を今に残している。
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銀座タワーの敷地内に残る旧料亭の稲荷神社
通りをはさんで有楽町とは反対側、築地や新富町、京橋と接するエリアが東銀座だ。江戸時代は劇場街があってノコギリ職人が多く住み、木挽町(こびきちょう)と呼ばれていた。現在でも歌舞伎座があって、出版社のマガジンハウスがある。旧電通本社や日刊スポーツ新聞社はちょっと外れたところだ。
1987年、中央区八丁堀にある出版社に入社したボクは、月給はそれほどたいしたことはなかったが、同期と東銀座あたりに飲みにいくのが常だった。お店を選べば安価で飲めたし、それでいて店の作りは洗練されていて、周囲の風情もなかなかのものだった。
今の銀座一丁目あたりに飲みにいくときに、広大な敷地を黒くて高い塀で囲んだ万安楼(まんやすろう)という高級料亭の脇をよく通ったものだ。壁の中はもちろん一度たりとも足を踏み入れたことはないが、小さな池がある日本庭園に面してお座敷があって、裕福な人たちが食事を楽しむために出入りしていたらしい。
ボクが出版社をやめる1990年代後半に料亭は廃業。広大な敷地に地上25階建ての高級マンション「銀座タワー」が竣工した。
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ひっそりとたたずむ安平神社
タワーは景観に配慮して周囲を木々でおおっているが、そんな敷地の片隅には「安平神社」というほこらがある。明治維新後の1882年に万安楼が開業する際に、以前からそこにあった稲荷神社を料亭内に祀った。その名残を現在に残しているのである。
付近をちょっと散策すると異空間が楽しめる。マンションから10mほど京橋に向かったところには、「日本で一番予約が取りにくいレストラン」として有名な「ラ・ベットラ・ダ・オチアイ」があって、夕方の6時半には予約客が開店を待って店頭で列をなしている。
その反対側にある地域集会所からは、今もときおり三味線のお稽古の音が聞こえる。旧京橋小の跡地となる公園では夏祭りも盛大に繰り広げられる。
銀座の中心街からものの5分ほど。それでいて喧噪は遠ざかり、地域ネコがたむろするような雰囲気とほんわかとした生活感を感じる。
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コロッケパンがおいしいチョウシ屋
およそ10年前に仕事場を都内で探したときに、まずは選択したのがこの東銀座である。出入りの新聞社や出版社も近かった。15分ほど歩けば利用できる駅は15ほどあった。
銀座タワーほど高級ではないが、安平神社の横にある銀座最大級のマンションの上層階をなんとかお願いして賃貸契約できた。入居時に見えた東京タワーは歌舞伎座ビルに隠されてしまったが、その代わりとして東京スカイツリーが立った。
仕事を終えて帰路に着くとき、万安楼の黒い壁があったところを通るのだが、駆け出しの社会人のころをふと思い返したりして「明日もがんばろう」と思う。
新しい中にも古さを感じさせる空間。それが東銀座の魅力である。