【山口和幸の茶輪記】ガールズケイリンが「職業としてアリ」の時代になった | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【山口和幸の茶輪記】ガールズケイリンが「職業としてアリ」の時代になった

オピニオン コラム
【山口和幸の茶輪記】ガールズケイリンが「職業としてアリ」の時代になった
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ガールズケイリンがこれまでの競輪=ギャンブルというカラを破りつつある。かわいらしい女性が色とりどりの国際競走用トラックレーサーで疾駆する。その華やかさが若い女性を魅了し、「ガールズケイリンを目指したい」という声をあちこちで聞くようになった。

ガールズケイリンとは2012年7月に復活した女子競輪のことだ。同年に開催されたロンドン五輪から男女の種目が原則的に同数になったことで、女子選手強化の一環として2008年からエキシビションレースとして行われてきた。国際ルールに則って行われるので、男子の競輪とは競技方法がわずかに異なる。2012年に1期生として33選手がデビュー。その後も日本競輪学校で学んだ女子アスリートたちが次々と仲間に加わっている。

この世界の第一人者である石井寛子は、「女子競輪選手になりたい」という夢を持っていたが、20代前半まではその選択肢がなく、目標に設定したのがロンドン五輪。なんの因果か目標に向かって歩んでいくうちにガールズケイリンが復活することになったが、「五輪を目指すための練習は競輪学校ではできない」と1期生には加わらなかった。結果的にロンドン五輪の夢は断たれたが、石井はここで心機一転して競輪学校へ。デビュー後は連戦連勝を重ねている。



ガールズケイリン総選挙で上位の得票を集めた選抜メンバーによるレースを制した石井貴子も、遅咲きながらガールズケイリンに加わった。もともとはアルペンスキーの選手だが、ケガで選手生活を断念。早稲田大を卒業し、一度は社会人になったが、ガールズケイリンの存在を知って競輪学校に入学した。

全国に埋もれた逸材を発掘し、ガールズケイリンや五輪トラック競技の選手に育成していこうという自転車界のプロジェクト、ガールズサマーキャンプは2015年で6回目の開催となった。参加費を安価に設定し、健康な中学生以上の女子ならだれでも参加することができる。

短期合宿には全国からいろいろなキャリアを持つ女子アスリートが集まる。陸上競技、卓球、柔道、ソフトボール、バスケットボール、バトミントンなどで地区大会上位の成績や記録を持つ逸材もいる。初日に行われたパワー計測テストでは瞬発系と持久系の実力が数値化され、未経験者の中でもトラック競技に適した才能を持つ選手も多く見受けられた。



北海道から参加した中学1年生は、「ガールズケイリンの選手になりたいから」と参加していた。「最初は怖かったけど、フライングスタートができるまで走れるようになりました」と目を輝かせた。2014年のグランプリを制した梶田舞もこの合宿でトラックレーサーを走らせる楽しさを知った。それがあっという間にグランプリ覇者だ。

ガールズケイリンの誕生と定着で職業としての選択肢が加わったのである。なでしこジャパンや女子野球と同様にガールズケイリンをやりたいと夢見る女のコも多くなっているという。ただしサッカーや野球と異なり、特殊な練習環境が必要とされるだけに、こういった短期合宿は今後も必要とされるだろう。

全国で男子選手に混じって練習している女子高生レーサーも夢はふくらむ。和歌山国体で鹿屋体育大学院の強化指定チームを破って優勝した細谷夢菜(埼玉・浦和工高)も、ツール・ド・フランスさいたまクリテリウムの記者会見で、「ガールズケイリンの選手になりたい」と語った。



男子の競輪選手にもいい意味で影響を与えている。ウォーミングアップスペースでは男子選手にほどよい緊張感が走り、「下手な走りはできない」という選手も。既存の選手宿舎は男性のみの仕様のため、ワンフロアをガールズ専用にするなど配慮。食事は同じ部屋だが、大浴場は時間を区切って使用する。ガールズケイリンが始まってから競輪場の舞台裏がどことなくきれいになった感じもする。

ガールズケイリン、あなどれない。ちょっと変わったキャリアを持つ女子アスリートばかりなので、選手名鑑などを入手すると深みにハマるので要注意だ。
《山口和幸》

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